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整形外科留学だより―イタリア編3(土江 博幸)

整形外科留学だより―イタリア編3:手術室

私が研修させて頂いている第3整形外科チームでは、手術は火曜日以外の月・水・木・金と週4日行われており、毎日朝7時半頃~夜7時半頃まで、1つの部屋(9番ルーム)で直列に行われている。縦で5~6件組まれているので、骨軟部腫瘍の手術が週に20件以上あるという計算になる。さすが世界的に有名な病院であり、よくそんなに患者がいるなあ、と感心してしまう。研修を初めてもう1ヵ月を過ぎてしまったのだが、この1か月では、腫瘍用人工関節の手術は週2~3件、骨盤の手術は1~2週に1件はあり、患者数がやはりちがう。しかも手術が早い。これらの手術は長くても1件当たり3時間以内には大概終わってしまう。2時間以内に終わる事もざらである。なんだか見ていると自分も簡単にできそうな気持になってくるが、多分勘違いなのだろう、と思い直す。

看護師さんの多くは英語が話せず、なかなかコミュニケーションがとれない所が少し不便である事を感じる。しかし、陽気な人が多く、結構やさしい人が多い。言葉が通じないが、笑顔で「Buongiorno!」と挨拶をする事を心がけていると、マッチョな看護師さんが無影灯についたカメラのモニターを自分の為に見やすいように調節してくれたり、威勢のいいおばちゃん看護師さんが「寒いでしょう(たぶんそんな事を言ってたと思われる)?」と手術着の上から着るディスポの服を持ってきてくれたりなど、ちょこちょこ人の温かさを感じる事ができる。特に南イタリア出身の人はFriendlyな人が多い印象であり、新潟に友人がいるというルイージさんは、自ら「任天堂のブラザースの弟と一緒の名前だよ!」と英語で自己紹介してくれるなど、ユーモアもある。イタリア語が話せたら楽しいだろうなぁ、と本当に思った…。

こういった陽気な雰囲気は手術全体にも現れており、Prof.Donattiはたまに手術中に大きな声で歌いだしたり、ベテランおばちゃん機械出し看護師さんは手術中でもDrたちと大きな声で談笑する。例え患者さんがルンバールでAwakeであったとしても全く関係ない。麻酔科の先生が足台を持って来てくれて、頭側から覗いて術野を見せてくれる事もあるのだが、ふと下を見るとAwakeの患者さんと目があって気まずい気持ちになった事もあった…。恐らく患者さんもあまり気にしないのだろう…。日本だと後で問題とかなるんだろうな、とお国柄の違いを実感した。

※おまけ

自分が滞在しているボローニャは北イタリアなのだが、かなり交通の便が良く観光に便利な場所である。イタリアの観光地といえば、ローマ・ヴェネチア・フィレンツェ・ミラノ・ナポリなどが有名であるが、特急電車に乗ると、ローマまで2時間15分くらい、ヴェネチアまで1時間10分くらい、フィレンツェまで35分、ミラノまで2時間くらい、ナポリまで3時間30分(ここは南イタリアなのでちょっと遠い)と、週末に1泊2日で有名観光地に簡単に行けてしまうのである。しかも電車代も割引など色々あり、それ程高くない。ホテルも三ツ星レベルでも設備・サービスは十分であり、ローマの駅前でも1泊2人で6千円くらいで泊まれてしまう。さらに経費削減ができるのではないかと思い、先日2つ星ホテルにチャレンジしたら、シャワーの根元が簡単に外れてしまい、壁から真横に垂直に水が出るという事態が発生したため、やはり3つ星クラスにしようかと思った…。

Figure 1: 手術室更衣室。日本と同じように狭く、脱ぎ散らかった術衣が落ちている…。

Figure 2: いつも手術が行われる9番手術室。イタリア語で「Sala Nove(9)」。

Figure 3: 手術室内部。患者さんがいない時。

Figure 4: Vatican Museumのらせん階段。

Figure 5: Vatican市国のサン・ピエトロ大聖堂クーポラ(展望できるところ)からの景色。

Figure 6: 夏の夜(21時開始)には、ローマ市内にあるカラカラ浴場(遺跡)内で野外オペラが行われる。開始前の舞台と会場。前の方の席を購入し、自分のキャラには似合わないリッチな気分に。

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整形外科留学だより―イタリア編2:病院にて研修開始(土江博幸)

研修初日、病院に着いたら教授室に直接来るか、分からなければ電話を頂戴、と秘書さんから連絡を受けていたので、まず受付に聞いてみるか、と考えていたのだが、入口を入っても受付らしき所が無い…。歴史的な建物で趣があるのだが、売店と奥には庭がある。仕方がないので秘書さんに電話してみる事に。「今どこにいるの?」と聞かれるも、なんて表現したらよいか分からず、「正面玄関で、売店と、奥に庭があります」と言うも、伝わってないのか、そんなんじゃわかんねえよ、といった感じなのか、ちょっと困った感じの雰囲気を漂わせ「今行くからそこで待ってて」と言われる。あとからわかったのだが、入口真正面の建物は教授室や事務的な事がメインの建物で、向かって左にあるのが病院であり、どっちの入口なのか、を聞きたかったようだ。程なく秘書さんが登場。そのまま教授室へ。色々と事務的な書類のサインなどのやりとりをしているところにprof. Donattiが登場しご挨拶をする。しかし、予定があるのかすぐにいなくなる。秘書さんからも「今日はこれでおしまい。明日Medical checkにきてね」と言われる。緊張して来たのだが、なんともあっけない初日であった…。

後日、medical checkなども終えて、ついにカンファに初参戦の日となる。毎週火曜日がカンファレンスの日で、カンファレンスは朝8時から病棟にある小さい部屋で行われ、prof.Donattiの率いる第3整形外科にはレジデント達も含めて、大体15~18人くらい所属しており(まだ把握できず)、全員骨軟部腫瘍をやっている。カンファは1週間の間に行われる患者の紹介がメインなのだが、容赦なく完全にイタリア語なため、内容の理解は難しい…。しかもスライドなどのプレゼンテーションは作成しておらず文字が無い。電子カルテ上の写真を画面に出して、みんなで討論するという、事前準備ほとんどなさそうなカンファである。なんだか一般病院と似た雰囲気を感じた。これを大体2時間弱やった後に教授回診、という流れであった。入院患者さんはほとんど3人部屋で、総回診も日本と似た雰囲気で、なんだか違和感がない。人種と外の景色が違うだけのようだ。教授回診が終わると、後は各自仕事に戻り、午後に、放射線科や化学療法の先生達との、治療方針を決定するための合同カンファがある。この日、実は自己紹介があるだろうと思い、あらかじめイタリア語でいくらか準備していて、挨拶のカンニングペーパーを前日の夜など何度も見返していたのだが、全くそんなイベントは無くすべてのカンファレンスが終わってしまった…。うーん、イタリア人はドライだ。

レジデントの先生に聞いたのだが、イタリアも日本と同じように、大学が6年あり、その後専門医の資格をとるため、5年間レジデントとして働くようである。ただ日本とは違い、すぐに専門をやるとの事。なんとなくレジデントの先生が誰かはわかってきたが、やはり欧米人なので日本人より年を取っているように見える。レジデントの先生に年齢を何度か聞かれたが、37歳というと、一瞬間が空くのはそういう事だろう。イタリア人は、髭を生やしている人が多く、若い人でのメジャーな生え方は、もみあげからあご、あと頬に無精ひげが伸びたような感じの髭が多いようだ。これは白人であるからカッコよくなるのであり、また、日本人でもイケメンならいいのだろうが、ブサメンの私には到底不可能である。遭難から帰ってきた汚らしいおじさんになってしまう。もう少し大人に見えるように、自分も良い髭の生やし方を考えてみようか、と思うのであった。

※写真説明

Fig.1: 正面玄関

Fig.2: 正面玄関の向かって左にある、病院の正面玄関

Fig.3: 正面玄関を入った建物。趣がある。

Fig.4: 中庭Fig.1 %28800x600%29 Fig.2 %28800x600%29 Fig.3 %28800x600%29 Fig.4 %28800x600%29

 

 

整形外科留学だより―イタリア編1:生活環境(土江 博幸)

整形外科留学だより―イタリア編1:生活環境

 

ついにイタリアへの留学の旅が始まった。思えば、昨年後半から準備に追われ、特にビザの取得には泣かされ続けた半年だった…。ビザ事情に関してはまた時期を見て書くとして今は置いとくとします。

さて、嫁と2人ドバイで乗り継ぎボローニャに無事に到着。スーツケースが多いため賃貸アパート会社に依頼した送迎車でアパート前に到着。しかしこの運転手、英語がほとんど話せなく、更に、アパート入居に関しても全く知らない…。「ここが知らされてる住所だよ」といった感じで降ろされるも、家の中に案内してくれそうな人はいない…。ボローニャ中心地のど真ん中で、車・人が多く、町のシンボルの塔が目の前にそびえたっている。しかも暑い!うーむ、とたたずんでいると、10分ほどして短パン・髭の生えたあんちゃんが現れ、アパートに案内してくれた。この兄ちゃんから家の簡単な説明を受けた後、すぐに嫁の現地滞在証明書申請アシストサービス(私はビザが下りなかったので不要…)のお姉さんが来て、郵便局に行き一緒に手続きを済ます。ここらへんの仕事の人は英語話してくれたので助かった…。病院研修などをはじめてよりわかったのだが、イタリア人は英語が話せない人が多いようで、病院食堂のおばちゃんやマクドナルドでは英語が通じにくく、身振り手振りでなんとかなる感じ。どうもヨーロッパの中でも、英語が通じにくい国のようである。ちなみに若いレジデントの先生にも英語で質問すると、見当違いの返事が返ってきて「英語苦手で…」と言われてしまった…。

ようやく落ち着き、町の探索+買い物へ。町は歴史地区の中心だけあって、教会など古い建物が多く、ヨーロッパ的な雰囲気むんむんでテンションが上がる。だが、町の中心でもあるので、少し裏に行くとRistranteなどが多く、人が多くにぎやか。週末になると家の目の前の通りで野外バンドが行われめちゃくちゃうるさい…。しかもアパートの冷房がほとんど機能せず、窓を開けて寝るしかないのだがよりやかましい…。うーむ、家選びを失敗したか。だが、めげずにがんばろう。

 

次回病院編に続く…。

 

※おまけ

研修が始まった初日の夜、気が付くと自分の携帯電話の液晶が割れており、携帯が全く使えなくなってしまう…。何故こんなタイミングで…。なんてこったい。仕方がないので、ネットで調査し、現地の携帯電話会社へ。イタリアではSIMロックフリーが当たり前であり、本体購入後、SIMカードとともに携帯電話会社のプランに入り毎月チャージするか、Tabacci(コンビニみたいな感じのとこだがタバコ屋さん)で購入して無くなった分だけそこで補充するシステムのようである。経費削減のため、店で安いスマホ本体を購入後(95ユーロ程)、面倒なのでそのままイタリアで大手のTIMという会社でSIMカードを購入し、1か月分のプリペイドを購入。よってこれからは毎月10ユーロを支払いにこなければいけなくなってしまった。ちなみにこの携帯電話会社のあんちゃんも英語はそこそこレベルであり、お互いシンプルな英語のみでやりとりし、購入にこぎつけたがえらい疲れた…。しかしながらこの携帯、アプリで日本語を入力することはできるようになるも、基本の表示は英語など海外の言語しか使えず…。嫁からは日本に帰っても使えるならこの携帯を使うように、と命じられてしまうも、まぁ、おしゃれな感じもするのでよいか、と自分を納得させるのであった…。
家の前

イギリス留学記 ~その8~ (工藤大輔)

渡英して3ヵ月,ちょうど折り返しを迎えた.シュート練習(自分にとっては素振り!?)のように側弯症の手術を見学している.今週末は4月6日から8日の日程でBrit Spine (Nottingham Conference Centre)があり参加してきた.入り口は日本脊椎脊髄病学会のようにテーマを掲げた看板で彩られることもなく、学会の名前が書いたのぼり旗が置いてあるだけでちょっと寂しい.口演が約80題,ポスターが約60題であった.側弯症の演題を主に聴講したが,特に興味をひいたのはMagnetic controlled growing rodいわゆるMAGEC®Rodに関するdebateであった.通常のConventional Growing RodではRodを伸張するために半年に1回の再手術が必要であるが,MAGEC® Rodでは体外から磁気を利用して伸張するため,伸張に伴う再手術を減らすことができるというのが利点である.しかし,実際は感染はゼロではないし,Rodの破損やMetallosis の問題 (特にMetallosisの問題を強調していた),コスト,うまく伸張しない症例があるなどの問題もあり,個人的には否定派の方が説得力があったと感じた.最新の論文にも同様の報告がされるようになってきており,反省の時期に入っているのかもしれない.いっぽう,日本では最近LLIFに関関する演題が飛ぶ鳥を落とす勢いで盛り上がっているが,今回はLLIFに関する演題は少なく,逆に成人脊柱変形の矯正ではPSOなどの3 column osteotomyに関する演題が多かったように思われる.いずれにせよ,Pelvic incidenceとLumbar lordosisのmatchが重要という意見は共通であった.(写真15)

写真15

イギリス留学記 ~その6~ (工藤大輔)  

毎朝8:15 (金曜は7:30)から症例検討のカンファレンスがあり,以前から気になっていたが,馬からの転落による脊椎外傷が意外と多い.乗馬という文化の違いと思われるが,逆に秋田の冬場の屋根からの転落による脊椎外傷はこちらでは珍しいに違いない.(というか雪自体があまりないので,雪下ろし作業というものが伝わらない気がするが・・・)また,よく言われるように頚椎椎弓形成術はほとんど行われていない.たいていは前方固定で,後方手術は椎弓切除(+固定)のようだった.前方固定は,DepuyのZero-P stand alone spacerが多く使われているようだった.たしかにプレートを当てないぶん非常にすっきりしていて良い.日本ではよく遭遇する広範囲の頚椎後縦靱帯骨化症は椎弓切除かそれ意外かで議論が白熱していた.特に椎弓切除後の後弯変形について議論となっていた.一応,椎弓形成術の話も出るが,最終的には術者の判断になり,今回は椎弓切除術が行われていた.頚髄症の評価は日整会のJOA(ジョアと呼んでいた) スコアが用いられていた.頚髄症の論文は日本から多数publishされており,この分野においては現在JOAスコアが世界標準なのかもしれない.

先日は,午前のグレビット先生の側弯外来の後,午後にメディアン先生の側弯外来を見学させていただいた.術後の患者さんは皆,真っすぐになった背骨に満足し,大変喜んでいたのが印象的だった.特にGrowing rod術後に大変良好な経過で,執筆された本の症例にもなった患者さんが家族とともに来院され,患者さん本人よりもむしろご家族が術前の我が子の写真の懐かしさと術後の経過に大喜びして携帯のデジカメでスライドの写真を撮る姿や,別の患者さんでは母親が喜びのあまり先生に抱きつく姿が印象的であった.忙しい外来であったが,いろいろ丁寧に教えていただき,modified Shilla法についても教えていただいた.まだ最近始められた術式で,中長期成績や論文はこれから発表されると思われるが,今のところトラブルは皆無とのことである.

手術は,今週も側弯症手術を多く見学させていただいた.一番大変だったのは,年齢がやや高い若年者の固い側弯であった.体格も日本ではなかなか出会えないほど立派であったため展開からすでに大変だった.Bendingで10°ほどしか矯正されない固い側弯で,凹側はほとんど骨癒合していたが,いつものように上下端と頂椎は凸側のみのPS設置を行い,ノミ-ノミ-リュエルの3ステップで骨切りを行い,椎弓下半分は一瞬で無くなった.ノミをハンマーで叩くと刺激で下肢が跳ねたり,いきなり硬膜外脂肪まで見えたりすることがあるので,見ているほうは時にヒヤヒヤするが,手慣れた作業であっという間に終了した.術前にどのように手術をされるのか尋ねたときは,固いからバランスを保つように・・・などとおっしゃっていたが,手術が終わってみるとほとんど真っすぐになっていた.感動!

渡英前に理容室に行ったが、さすがに髪がずいぶん伸びてきたので、最寄りの床屋に行ってみた.事前に島田教授から髪に水もつけずにカットする話やネットの情報も見ていたので不安だったが,背に腹は変えられない.ネット情報では洗髪はないことが多いようだったので、ちょうど手術見学後ということもありシャワーを浴びて、生乾きの髪で行ってみた.予約はとらずに突撃したが幸い店は空いていた.お客さんは一人でなぜかスキンヘッドだった.床屋に来る必要があるのだろうか・・・ すごく不安になった.お店のお兄さんも両腕に見事なタトゥーで怖かったが,引き返すこともできず,Next Please!と声をかけられると,言われるがままに座った.どうしますか?と聞かれたので,スマホの写真を見せて,こんな感じで・・とお願いした.日本の同僚に合わないので,10年ぶりくらいに短くしてもらった.ネット情報ではバリカンを多用するらしい情報があったが,いきなりバリカンで豪快に刈り上げられた.日本と違い,棚に無造作に置かれたハサミ(多分消毒洗浄があまりされていなそう)で豪快に切られた.ただ一応スプレーで水をつけてくれたので,もしかしたらいい店だったのかもしれない.ネット情報では10分くらいで終わると書いてあったが,13分くらいで終了した.お礼を行って8ポンド(1ポンド=169円 5/2/2016現在)支払って店を出た.

QMCのすぐ近くにWollaton Hall (写真12)というところがあり,なんとバットマン ダークナイトライジングでバットマンハウスとして撮影に使われたらしい.ノッティンガムではところどころ桜(?)が咲き始めてきた.(写真13)

(写真12)

写真12

 

 

 

 

(写真13)写真13

イギリス留学記 ~その5~ (工藤大輔)

ノッティンガム留学へ留学し,ちょうど1ヵ月経った.ノッティンガムはロビンフッドの伝説で有名ということで,いたるところにロビンフッドの像や絵が飾ってある(写真9).

写真9

(写真9)

中心街やノッティンガム城(写真10)周辺もバスでほとんど行けるので,車が無くても困らない.

写真10

(写真10)

グレビット先 生には、本当に良くしていただいており,側弯手術だけでなく,腰椎人工椎間板置換術なども見せてもらうことができ,手術は毎回楽しみにしている.先日,たまたま病院の玄関先でメディアン先生にお会いし,日曜日に側弯の手術を予定しているとのことで,それも見学させていただいた.AISの後方矯正固定術であったが,グレビット先生の手術法とは異なり,どちらかというと我々の方法に近かった.全椎体にフリーハンドでスクリューを設置後,rod rotationで矯正していた.術前にはメディアン先生が考えるLIVの決め方について教えていただいた.また,前回聞けなかったGrowing rod法(modified Shilla法)を行っている理由なども教えていただいた.先週はUniversity Hospitals of Leicesterのセル先生の側弯症手術も見せていただいた.というわけで1月後半もたくさんの側弯症手術を見学することができた.また何例かTLIFも見学する機会があったのだが,使われていたcageがT-palで約1万km離れた異国の地でいつも見慣れた器械を見ることができ,なんだか懐かしい気持ちになってしまった.

話は変わり,日本とイギリスの違いをいくつか.イギリスの医師は白衣を着ない.イギリスの国営の病院(NHS; National Health Service)では2007年から感染対策のため,白衣の着用を禁止したらしい.またネクタイも禁止.というわけで服装はいつも長袖のワイシャツの袖をまくり,スラックス,革靴というスタイル.島田教授より渡英前に服装の違いで医師の位が分かると教えていただいたが,もちろんグレビット先生はカフスを使用していた.おそらくスーツもオーダーメードの上等のものだと思われる.そしてDr.ではなくMr.と呼ぶ.専門医の受診は,日本のように紹介状なしでいきなり大学病院を受診することはできず,まずは家庭医(GP; General Practitioner)を受診し,必要に応じて専門医を紹介されるというシステム.専門の診療に集中できるので,仕事の高率が良いと思われた.最後に,これは個人差があるかもしれないが,わりと皆昼食はあっさりしていて,最近は自分も合わせて軽く済ませている.写真はある日の昼食で,パンとコーヒーとチップス(写真11).

 

写真11

 

(写真11)

イギリスの食事はおいしくないと聞いていたが,今のところそんなことはないと思う.

 

イギリス留学記 ~その4~ (工藤大輔)

英国へ留学し、約2週経った。こちらに来てから日中ずっと晴れていたのは2日くらいだろうか。毎日数時間おきに雨が降ったり、やんだりしている。年間降水量は東京より少ないようであるが、毎日しとしと降っている感じ。感覚としては秋田より天気が悪い気がする。写真は奇跡的に終日晴れていた週末の宿舎の裏のあたりで、シティホスピタルの敷地内で撮影したもの。

写真6 先日テレビが欲しくなり、近くのホームセンターに買いに行った。英国でテレビを見るためにはTV licenceなるものを購入しないと見られないので(厳密には見られるが、ちゃんとお金を払わずにこっそり見ると罰金を請求される)、さっそくOnlineで購入した。しかし、残念ながら宿舎の電波が弱いためか?見られなかった。ブースターをつなげば映るかもしれなかったが、あいにくどこに売っているのか分からないし、日本の家電量販店のような店も近くにはない。仕方なく、届くか不安であったがAmazon.ukで注文してみた。結果は・・・ちゃんと届いたが、玄関先に荷物が置かれていた。

写真7

もちろん受け取りのサインもなし。事前にメールが来ていつ届くとか、不在時の対応(玄関先に置いてもらう、ガレージに置いてもらうなどいくつか選択できる)が記載されていたのだが、予定より早く届き、しかも不在時の対応を選択する前に玄関先にそっと置かれていた。たぶん高価なものはamazon.ukで頼まないほうが無難かもしれない。幸いテレビは見ることができた。イギリスではほとんどの番組が英語の字幕付きで見られるのだが、逆に字幕がないと英語が速すぎてさっぱり聞き取れない。でも字幕を見ながらだとけっこうリスニングの勉強になることに気付いた。朝のカンファレンスは骨粗鬆症性を含む椎体骨折(何となく、階段からの転落症例が多いような気がする)、と脊椎転移が圧倒的に多い。骨粗鬆症性椎体骨折ではほぼルーチンに多発性骨髄腫のスクリーニングを行っているようだ。また脊椎転移では不安定性がない場合にはVertebroplasty (cement augmentation)も積極的に行っているようだった。

今週見学させていただいた手術は全部側弯であった。並列で別の手術が行われていることもあるが、側弯の手術がある日は側弯を希望している。今週はグレビット先生のAISの手術の他、メディアン先生のEOSに対するGrowing rod法の手術を見せていただいた。印象はAmazing!の一言に尽きる。スクリューは凹側凸側全椎体フリーハンドで、あっという間に設置し(四肢の骨折の手術より早いかもしれない)、矯正ももちろんすばらしかった。個人情報なので、詳しいことはここに書けないが術式としてはShilla法をmodifyした感じの手術であった。通常Growing rod法では全部展開しないが、本法では全部展開しており、フェローの先生に聞いたらSemi Growing rodと言っていた。またFinal fusionの手術もしないと言っていた。メディアン先生は閉創前に退室されてしまい、あまり質問できなかったので、今度いろいろ聞いてみたいと思う(写真:病院の正面)。

写真8

 

 

イギリス留学記 ~その2~ (工藤大輔)

12月30日ノッティンガムシティホスピタルからクイーンズメディカルセンター(QMC)行きのバスに乗る。宿舎のあるシティホスピタルはQMCの姉妹病院らしく、研修するSpine unitはQMCにある。バス停で待っていると高齢の男性に話かけられ、どこから来た?という質問以外は早口で何を言っているか全くわからなかった。QMCに着き、受付のおばさんに脊椎外来の場所を聞き、脊椎外来に向かう。脊椎外来でGrevitt先生の居場所を尋ねるがどうやらX線撮影室にいるとのことで、今度はX線撮影室に向かう。しばらく待つが忙しいのかなかなかお会いできない。そうこうしているうちに今度はオフィスに案内され、まずはIDカードを作ると言われ写真を撮影、カードがすぐに出来上がったが、その後またオフィスでしばし待つ。するとフェローの先生が来てくれて、Grevitt先生は今注射をしているとのことで、それが終わるまでお相手をしてくれた。Spine unitはこちらでいう医局のようなオフィスの他、カンファレンスルームと病棟が隣接しており、とてもアクセスが良さそうだった。年末のためかみんな暇そうで卓球をしたり、しゃべっていたりしていた。日本の医者より時間的に余裕があるのだろうか。午後になるとGrevitt先生の注射が終わったとのことで、オフィスに案内され、初対面。すごく感じの良い先生で、何を見学したいか聞かれ、deformityと答えると、今度院外での出張の手術もあるから、それに連れていって下さるとのことであった。この日はあいさつを済ませ、またバスに乗って帰宅した。

12月31日、日本ではたいていの病院は休みであるが、この日は手術があるとのことで、朝の7時すぎに出勤した。ちなみにまだ空は真っ暗で月が出ていた(写真4)。 この時期夜が長いが、夏になると逆に日が長くなるらしい。この日の手術はT10-Iliacまで固定された高齢女性のPJKに対する固定延長手術であった。術式は緩んだT10のスクリューを抜去し、T4,5をフック、T6,7椎弓根スクリューでアンカーを作成し、コネクターでロッドを連結するというものであった。胸椎のスクリューは刺入点を小リュエルで骨切除し、フリーハンドでプローブ(pedicle finderと呼んでいた)を挿入、デプスゲージで長さを測って挿入するというものであった。コネクター部は力学的に弱いとのことで「川」の字に別のロッドを横止めで連結して補強していた。閉創前に、大量のイソジンで創内を洗浄し(衝撃的)、バンコマイシンの粉末を散布していた。手術を終えると術後X線の撮影はなく、抜管後、足の動きを確認することもなく、患者さんは退室していった。その後、フェローの先生に休憩室に連れていってもらい、果物やパンを食べ、しばらくおしゃべりをしてから、患者さんの元に向かった。幸い足はちゃんと動いていたが、動かなかったらどうするのだろうと心配になった。

この日の夜は、Grevitt先生のご家族にご招待され、ディナーにご一緒させていただいた。とても気さくな良い先生で、宿舎のことを心配してくれたり、今後を研修のことを気遣っていただいたりした。食事を終えるとノッティンガム中心地の散策に連れて行ってもらった。新年を祝う若者と音楽があふれ、花火も上がり、イギリスのNew yearの雰囲気を味わえた。

(写真4)

写真4

イギリス留学記 ~その1~ (工藤大輔)  

12月28日月曜日18時30分予定通りヒースロー空港到着。この日は、空港近くのホテルに1泊し、翌日ノッティンガムへ向かうことに。長旅で疲れたので、夕食は摂らずにこの日はすぐに寝ることにした。

翌朝、National expressというノッティンガム直行のバスに乗る。金額は日本円で一人一万円ほど。結構高いが、スーツケースが重いので地下鉄を乗り継ぐよりはきっと楽だったはず。ロンドンから3時間ほど北上するとノッティンガムであるが(写真1)、途中の景色は畑や牧場が広がり、ずいぶんのどかな印象だった。バスターミナルに着くと、ブラックキャブというタクシーに乗り換えて、ノッティンガムシティホスピタルに向かう。ブラックキャブとはいっても深い緑色で、街の景観によくマッチしているようだった。宿舎の場所はあらかじめグーグルストリートビューで確認していたので、なんとなく着いたが、事前に指示されていた鍵の開け方が分からず。しかたないので、同じ敷地内(とはいってもスーツケースを転がして歩くには結構遠い。)にある宿舎を管理している事務所に向かうがどうやら今日は閉まっているらしい。年明けまで閉まっているらしく、少しあせる。困っていたところ、通りすがりの病院職員の家族?らしき人に教えてもらったところに行くが、ここも鍵が閉まっている。指示された鍵の開け方を試すが、案の定開かない。何度か試しているうちに、中から住人が出てきたので、その隙に進入すると、黒い金庫を発見。日本にいるときに教えてもらっていた暗唱番号を打ち込むと金庫が開いて、Dr. Daisuke Kudoと書いてある封筒を発見。中には宿舎の鍵が入っており、最初に行った宿舎の鍵だとわかった。

宿舎は2階建てで、キッチン、リビング、寝室3部屋で家具、家電も備わっていた(写真2)。部屋も思っていたよりきれいで、宿舎を手配してくれた職員の方に感謝。暖房の付け方が分からず、家の中をいろいろ探っていると2階にWater heaterと書いてあるタンクを発見(写真3)。どうやらこれで水を温めて、循環させることで部屋を暖めるようだ。ネットで調べると、イギリスでは一般的な暖房方法らしいが暖まるのに時間がかかるらしく、一日中つけておいたほうが良いらしいということと、お湯もこのタンクから使用するらしく、両方同時に使いすぎるとだめらしいということを知った。日本ではストーブやエアコンが一般的で、部屋もすぐに暖まるので、どうも馴染めない。パソコンを見てみるとこれからお世話になるGrevitt先生からのメールがあり、着いたら電話をして欲しいとのことであった。電話をすると明日9時すぎに病院に来て欲しいとのことであった。

(写真1)

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(写真2)

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(写真3)

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羊ケ丘病院 研修だより (水谷 嵩)

島田教授のご高配で7月から2カ月の間、羊ケ丘病院で研修をさせていただいております。そろそろ札幌生活も終わりですが、夏の北海道という時期的にも恵まれた2か月間を振り返りたいと思います。

 

最も長い時間過ごしたのは外来で、主に新患外来を担当していました。手術が必要な患者さんには出来るだけ早く予定を組むことができたり、なかなかよくならずいろいろな施設を回って来た人にはリハビリで積極的な治療を行うなど、選ばれる側の民間の医療施設として患者さんに出来るだけ質の高い医療を提供する お手伝い ができたのは秋田に帰っても役立つ収穫だったと思います。時間があるときは倉先生や岡村先生の外来を見学させていただき、日本でトップランカーの先生方の、疾患や治療の考え方や治療に対する姿勢などを学ぶことが出来ました。肩の診察が今まで苦手だった自分としては、肩の診察を岡村先生直々に(ご自身の肩を貸していただきました(笑))ご指導いただけたのが大変勉強になりました。

 

手術は主に倉先生の膝、足といった下肢の手術と、岡村先生の肩の関節鏡手術の助手として入らせていただきました。秋田ではなかなか見ることができない手術も多く、手術に入れる日は毎日が刺激的でした。

 

秋田大学整形外科同様に多くの部活動が盛んな羊ケ丘病院ですが、自分も河野先生の流れのまま水泳とノルディックウォーキングに参加させていただきました。(水泳は1-2回程度でしたが…)ノルディックウォーキングは岡村院長は羊ケ丘公式競技と宣言し、倉理事長は術後患者さんを集めてイベントを開催するなどかなり気合の入った活動で、夏の朝6時から病院周辺をウォーキングするのは大変気持ちがよかったです。また、英会話講座も参加し、こちらは少人数グループ制のアットホームな雰囲気でした。水泳は大会に登録、参加するほど本気度の高い活動で、小樽塩谷の海水浴場まで車で移動し遠泳の練習、そのあとにBBQというイベントにもご一緒させていただきました。まさか北海道にきて雨の中海で泳ぐ経験をすることになるとは思ってもみませんでしたが、夕方から晴れておいしいBBQを楽しむことができました。

 

倉先生には、研修中研究会発表と論文作成についてご指導いただきました。倉先生の御高配により第18回北海道下肢と足部疾患研究会で貴重な手術症例の発表の機会をいただき、大阪南医療センターの橋本淳先生の特別公演を拝聴することも出来ました。

 

今回の研修では、民間施設の先生方が患者さんに選ばれるため、信頼されるためにどのような思いで日常の診療に携わっているかを実際の目で見ることが出来たのが最も大きな収穫でした。秋田に戻っても羊ヶ丘病院で学ばせてもらったことを生かしていきたいと思います。

 

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日本足の外科学会で来ていた野坂光司先生のワークショップにお邪魔しました

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小樽塩谷で海泳ぎからのBBQ 直前まで雨の中泳いでました

岡村健司先生とリハビリスタッフの皆さん

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北海道下肢と足部疾患研究会で橋本淳先生と倉秀次先生