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イギリス留学記 ~その2~ (工藤大輔)

12月30日ノッティンガムシティホスピタルからクイーンズメディカルセンター(QMC)行きのバスに乗る。宿舎のあるシティホスピタルはQMCの姉妹病院らしく、研修するSpine unitはQMCにある。バス停で待っていると高齢の男性に話かけられ、どこから来た?という質問以外は早口で何を言っているか全くわからなかった。QMCに着き、受付のおばさんに脊椎外来の場所を聞き、脊椎外来に向かう。脊椎外来でGrevitt先生の居場所を尋ねるがどうやらX線撮影室にいるとのことで、今度はX線撮影室に向かう。しばらく待つが忙しいのかなかなかお会いできない。そうこうしているうちに今度はオフィスに案内され、まずはIDカードを作ると言われ写真を撮影、カードがすぐに出来上がったが、その後またオフィスでしばし待つ。するとフェローの先生が来てくれて、Grevitt先生は今注射をしているとのことで、それが終わるまでお相手をしてくれた。Spine unitはこちらでいう医局のようなオフィスの他、カンファレンスルームと病棟が隣接しており、とてもアクセスが良さそうだった。年末のためかみんな暇そうで卓球をしたり、しゃべっていたりしていた。日本の医者より時間的に余裕があるのだろうか。午後になるとGrevitt先生の注射が終わったとのことで、オフィスに案内され、初対面。すごく感じの良い先生で、何を見学したいか聞かれ、deformityと答えると、今度院外での出張の手術もあるから、それに連れていって下さるとのことであった。この日はあいさつを済ませ、またバスに乗って帰宅した。

12月31日、日本ではたいていの病院は休みであるが、この日は手術があるとのことで、朝の7時すぎに出勤した。ちなみにまだ空は真っ暗で月が出ていた(写真4)。 この時期夜が長いが、夏になると逆に日が長くなるらしい。この日の手術はT10-Iliacまで固定された高齢女性のPJKに対する固定延長手術であった。術式は緩んだT10のスクリューを抜去し、T4,5をフック、T6,7椎弓根スクリューでアンカーを作成し、コネクターでロッドを連結するというものであった。胸椎のスクリューは刺入点を小リュエルで骨切除し、フリーハンドでプローブ(pedicle finderと呼んでいた)を挿入、デプスゲージで長さを測って挿入するというものであった。コネクター部は力学的に弱いとのことで「川」の字に別のロッドを横止めで連結して補強していた。閉創前に、大量のイソジンで創内を洗浄し(衝撃的)、バンコマイシンの粉末を散布していた。手術を終えると術後X線の撮影はなく、抜管後、足の動きを確認することもなく、患者さんは退室していった。その後、フェローの先生に休憩室に連れていってもらい、果物やパンを食べ、しばらくおしゃべりをしてから、患者さんの元に向かった。幸い足はちゃんと動いていたが、動かなかったらどうするのだろうと心配になった。

この日の夜は、Grevitt先生のご家族にご招待され、ディナーにご一緒させていただいた。とても気さくな良い先生で、宿舎のことを心配してくれたり、今後を研修のことを気遣っていただいたりした。食事を終えるとノッティンガム中心地の散策に連れて行ってもらった。新年を祝う若者と音楽があふれ、花火も上がり、イギリスのNew yearの雰囲気を味わえた。

(写真4)

写真4

イギリス留学記 ~その1~ (工藤大輔)  

12月28日月曜日18時30分予定通りヒースロー空港到着。この日は、空港近くのホテルに1泊し、翌日ノッティンガムへ向かうことに。長旅で疲れたので、夕食は摂らずにこの日はすぐに寝ることにした。

翌朝、National expressというノッティンガム直行のバスに乗る。金額は日本円で一人一万円ほど。結構高いが、スーツケースが重いので地下鉄を乗り継ぐよりはきっと楽だったはず。ロンドンから3時間ほど北上するとノッティンガムであるが(写真1)、途中の景色は畑や牧場が広がり、ずいぶんのどかな印象だった。バスターミナルに着くと、ブラックキャブというタクシーに乗り換えて、ノッティンガムシティホスピタルに向かう。ブラックキャブとはいっても深い緑色で、街の景観によくマッチしているようだった。宿舎の場所はあらかじめグーグルストリートビューで確認していたので、なんとなく着いたが、事前に指示されていた鍵の開け方が分からず。しかたないので、同じ敷地内(とはいってもスーツケースを転がして歩くには結構遠い。)にある宿舎を管理している事務所に向かうがどうやら今日は閉まっているらしい。年明けまで閉まっているらしく、少しあせる。困っていたところ、通りすがりの病院職員の家族?らしき人に教えてもらったところに行くが、ここも鍵が閉まっている。指示された鍵の開け方を試すが、案の定開かない。何度か試しているうちに、中から住人が出てきたので、その隙に進入すると、黒い金庫を発見。日本にいるときに教えてもらっていた暗唱番号を打ち込むと金庫が開いて、Dr. Daisuke Kudoと書いてある封筒を発見。中には宿舎の鍵が入っており、最初に行った宿舎の鍵だとわかった。

宿舎は2階建てで、キッチン、リビング、寝室3部屋で家具、家電も備わっていた(写真2)。部屋も思っていたよりきれいで、宿舎を手配してくれた職員の方に感謝。暖房の付け方が分からず、家の中をいろいろ探っていると2階にWater heaterと書いてあるタンクを発見(写真3)。どうやらこれで水を温めて、循環させることで部屋を暖めるようだ。ネットで調べると、イギリスでは一般的な暖房方法らしいが暖まるのに時間がかかるらしく、一日中つけておいたほうが良いらしいということと、お湯もこのタンクから使用するらしく、両方同時に使いすぎるとだめらしいということを知った。日本ではストーブやエアコンが一般的で、部屋もすぐに暖まるので、どうも馴染めない。パソコンを見てみるとこれからお世話になるGrevitt先生からのメールがあり、着いたら電話をして欲しいとのことであった。電話をすると明日9時すぎに病院に来て欲しいとのことであった。

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(写真2)

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羊ケ丘病院 研修だより (水谷 嵩)

島田教授のご高配で7月から2カ月の間、羊ケ丘病院で研修をさせていただいております。そろそろ札幌生活も終わりですが、夏の北海道という時期的にも恵まれた2か月間を振り返りたいと思います。

 

最も長い時間過ごしたのは外来で、主に新患外来を担当していました。手術が必要な患者さんには出来るだけ早く予定を組むことができたり、なかなかよくならずいろいろな施設を回って来た人にはリハビリで積極的な治療を行うなど、選ばれる側の民間の医療施設として患者さんに出来るだけ質の高い医療を提供する お手伝い ができたのは秋田に帰っても役立つ収穫だったと思います。時間があるときは倉先生や岡村先生の外来を見学させていただき、日本でトップランカーの先生方の、疾患や治療の考え方や治療に対する姿勢などを学ぶことが出来ました。肩の診察が今まで苦手だった自分としては、肩の診察を岡村先生直々に(ご自身の肩を貸していただきました(笑))ご指導いただけたのが大変勉強になりました。

 

手術は主に倉先生の膝、足といった下肢の手術と、岡村先生の肩の関節鏡手術の助手として入らせていただきました。秋田ではなかなか見ることができない手術も多く、手術に入れる日は毎日が刺激的でした。

 

秋田大学整形外科同様に多くの部活動が盛んな羊ケ丘病院ですが、自分も河野先生の流れのまま水泳とノルディックウォーキングに参加させていただきました。(水泳は1-2回程度でしたが…)ノルディックウォーキングは岡村院長は羊ケ丘公式競技と宣言し、倉理事長は術後患者さんを集めてイベントを開催するなどかなり気合の入った活動で、夏の朝6時から病院周辺をウォーキングするのは大変気持ちがよかったです。また、英会話講座も参加し、こちらは少人数グループ制のアットホームな雰囲気でした。水泳は大会に登録、参加するほど本気度の高い活動で、小樽塩谷の海水浴場まで車で移動し遠泳の練習、そのあとにBBQというイベントにもご一緒させていただきました。まさか北海道にきて雨の中海で泳ぐ経験をすることになるとは思ってもみませんでしたが、夕方から晴れておいしいBBQを楽しむことができました。

 

倉先生には、研修中研究会発表と論文作成についてご指導いただきました。倉先生の御高配により第18回北海道下肢と足部疾患研究会で貴重な手術症例の発表の機会をいただき、大阪南医療センターの橋本淳先生の特別公演を拝聴することも出来ました。

 

今回の研修では、民間施設の先生方が患者さんに選ばれるため、信頼されるためにどのような思いで日常の診療に携わっているかを実際の目で見ることが出来たのが最も大きな収穫でした。秋田に戻っても羊ヶ丘病院で学ばせてもらったことを生かしていきたいと思います。

 

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日本足の外科学会で来ていた野坂光司先生のワークショップにお邪魔しました

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小樽塩谷で海泳ぎからのBBQ 直前まで雨の中泳いでました

岡村健司先生とリハビリスタッフの皆さん

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北海道下肢と足部疾患研究会で橋本淳先生と倉秀次先生

 

2015 朝野球 (河野哲也)

今年度も、杉村キャプテンの元朝野球に参加しました。

朝野球についてはご存知の方も多いかと思いますが、おさらいです。

医学部グラウンドでam6時過ぎより始まる野球大会で、医局・部活単位で参加し、鎬を削る大会です。

我がノーザンデーモンズは、昨年準優勝している強豪です!医局員に加え、今年も病棟の垣根を越え,看護師さんが加勢してくださいました。

予選リーグでは,危なげない試合運びで3勝1分けと予選2位で決勝トーナメント進出。決勝トーナメントでは,軟式テニス部との対戦。最終回2死まで,大差で負けていましたが、ここから逆襲が始まりました。安打、相手のエラーなどが重なり、あれよあれよと言う間に1点差まで攻め立て、誰もが「ルー○ベルトゲーム」を思い浮かべたのではないでしょうか!?

そして、わたくし河野に打席が、、、。結果は三振、ゲームセット。。。無念です。

今年はベスト4となりましたが、来年も優勝を目指し出場したいと思います。

先生方、看護師の皆様方、来年もよろしくお願い致します!

 

予選リーグ

3-1 対 泌尿器科 勝利

6-3 対 バトミントン部 勝利

3-3 対 陸上部 引き分け

8-2 対 バレー部 勝利

 

決勝トーナメント

6-7 対 軟式テニス部 敗退

朝野球

留学便り14 (木島泰明)

2015年の5月から6月まで、フランス・リヨンのLyon-Ortho-Clinicで研修させていただきました木島泰明です。今回は、Nicolas Bonin先生の股関節鏡手術についてレポートしたいと思います。(6月の終わりに半年ぶりに帰国し、7月からは秋田の現場に復帰させて頂いておりますが、5月以降のことに関するレポートがまだでしたので引き続き留学だよりを発行させて頂きます。)

初日は朝9時にLyon Ortho Clinicのオフィスで待ち合わせ。行くと、フランス語を話すスイス人のフェローもその日から6ヵ月の予定で研修に来ていました。診察室を兼ねた自分の部屋で外来をやり、別の部屋の秘書さんが外来や入院・手術の予約の管理をするというスタイルはパリのNogier先生と同じ。月曜と水曜が外来日で、火曜と木曜が手術日、金曜日は自分の仕事をする日とのこと。外来でのスタイルはジーンズにワイシャツでしたが、Nogier先生と違うのは白衣を着るところです。

手術室への1件目の患者さんの入室は、秋田のJT整形と同じ朝7時。1日5-6件、多い日は7-8件の手術を行っています。ほとんどは股関節鏡手術やプライマリーの人工股関節置換術(THA)ですが、人工股関節の再置換手術や臼蓋棚形成術など、股関節鏡手術やプライマリーTHA以外の手術がある日は少な目に組むようです。

背の高い男性の専属看護師2名を雇っているようで、いつもはその2名とBonin先生の3人で手術をされているようですが、僕の研修期間中は、スイスからの研修の先生と交代で手洗いさせて頂きました。  Center Edge (CE)角が10度前後の寛骨臼形成不全で20代くらいの若い患者さんに対しては仰臥位での棚形成術を行っていました。1例しか見られませんでしたが、AHRG会長に比べれば小ぶりな棚をT型のプレートで固定しており、2本のロフストランド杖は持たせていましたが、術直後から荷重は許可していました。ただAHRG会長と同じだったのは、海綿骨を骨頭側に向けて設置していました!「カーブが合うからね」だそうです!

今回、見ることはできませんでしたが、大腿骨頭の骨軟骨損傷に対してのモザイクプラスティも時々行っており、成績も良いとのことでした。切除するべきCamの位置から骨軟骨柱をグラフトとして採取するのだそうです。

円靭帯の周りの炎症性滑膜だけしか有意な所見がなかった患者さんもいらっしゃり、術後1ヵ月は痛みなく経過は良かったものの、3ヵ月で痛みが再燃してしまったようです。このように「メカニカルな症状」(動作時痛、他動運動時痛)ではなく、関節鏡視下の滑膜切除をしても再燃してくるような股関節痛の場合にはリウマトロジストに紹介して抗炎症的な治療、具体的にはステロイド関節注射や内服薬投与などを受けてもらう、とおっしゃっていました。

ちなみに、股関節のAnterior impingement signは屈曲・内旋で股関節痛が出るかどうかをみるものですが、「関節水腫になっているような症例ではどの方向に動かしても痛いよね」とおっしゃっていました。確かにそうですよね。chondromatosisなどでもそのようです。chondromatosisではposterolateral portalも必要なことが多いのでカプセルの切開も大きくなるものの、術後はむしろ固くなることが多いのでカプセル縫合は行わないとのことです。再発例も少なからずあるので、毎年MRIでチェックしているとおっしゃっていました。

診断には単純X線写真を重要視されており、寛骨臼側はCE角とVertical Center Anterior margin (VCA)角、Acetabular roof obliquity (ARO)を、大腿骨側はαアングルを必ずチェックしていました。さらに単純X線写真で分かる場合には、下前腸骨棘(AIIS)の位置もチェックし、acetabular edgeよりもAIISが遠位であればグレード3としてインピンジメントのリスクと評価しています。

またCTやMRIで寛骨臼が完全に後ろ開きでなくても、単純X線写真でcross over sign (COS)やprominence of the ischial spine (PRIS) signがあれば機能的あるいは相対的レトロヴァージョンがあり、pincerのリスクと判断されていました。

そして、Anterior impingement signが陽性で、上記のインデックスでpincerやCamを示唆する所見があれば、関節唇損傷がはっきりしなくても股関節鏡手術の適応とされております。実際にそういった患者さんのほとんどに関節唇損傷を認めますし、関節唇損傷の程度がごく軽く、縫合するほどのインスタビリティがない場合でも、しっかりCamを削るだけで症状が取れるとのことでした。

詳しい検査としては、Nogier先生と同じく、関節造影MRIではなく関節造影CTでの所見をしっかり見ていました。これはフランスのラディオロジストが主に関節造影CTを撮影して、患者さんが持ってくるためです。αアングルのチェックもCTの頸部に沿ったスライス(特に近位)で行うのが一番良いと話されていました。関節造影CTでは造影剤のノリで軟骨表面も見えるため、軟骨損傷がないかどうかも注意してみています。同様に、正常な関節唇はその表面が造影剤で追えますが、関節唇が見えず骨性の臼蓋縁のみのように見えるときは、関節唇の消失、または関節唇の骨化と判断していました。「関節唇の骨化は関節唇再建のいい適応だけど、なかなか手技的に難しく、臨床的には骨化の切除だけでもかなり成績は良い」と話されています。前方のインピンジメントがある場合、後方の軟骨損傷が起きることも多いようで、これはcontrecoup lesionと呼ばれています。この軟骨損傷が非常に大きい場合には、もはや股関節鏡での対応は難しく、年齢にも寄りますがTHAを勧めるケースもありました。

Herniation pitなどもCTでよく観察できます。Herniation pitはpincerメカニズムで生じる所見(もちろん病的意義がない同部の骨嚢胞もよくあることは指摘されています)、また、delaminationはCamによる損傷と考えられています。軟骨のdelaminationは鏡視下でプロービングしたときのwave signとして観察されます。

ときどきラディオロジストの好みで、患者さんがMRIを撮られていることもあり、そういう場合にはintensity changeのほかに円靭帯の有無も確認されていました。

画像上インスタビリティ(dysplasia)やインピンジメントが疑われないケースなどでは特にハイパーラキシティのチェックもしっかりと行っていました。股関節のラキシティが原因で関節唇損傷をきたすケースもあるようです。さらにラキシティも骨性のインピンジメントも疑われないケースでもダンスなど足を高く上げるようなスポーツをやっている方では関節唇損傷による痛みが取れない可能性があるようです。

CE角が15度から25度くらいの、いわゆるborderline dysplasiaの症例の関節唇損傷で、関節唇縫合しても症状が1年くらいで再燃し、仕方なくデブリしたもののすっきりせず、3回目の手術で棚形成をしたところ痛みがすっかり取れたという患者さんも外来受診されていました。ただ実際はそのようなケースは稀なようなので、まずは鏡視下の関節唇修復のみを行い、症状が取れない場合には臼蓋棚形成術を追加で行うという考え方でもいいのかもしれません(もちろん患者さんとの話し合いが重要ですが)。

Borderline dysplasiaでCamは明らか、でも関節唇損傷ははっきりしない、だけどAnterior impingement signが陽性、という患者さんもいて、そういう場合は、実際の手術ではCamの切除のみになることがあるのですが、それだけでも症状は取れているようでした。いかにCam切除が重要か、ということでしょうか。

やはりこの分野、診断や手術適応が難しいのですが、Bonin先生のところでたくさん患者さんを見せてもらったことで、かなり勉強になりました。それでは、Bonin先生の実際の股関節鏡手技のご紹介もしたいと思います。

 

まずは、足背にゼリー状のクッションを当てて、それを包帯で止めてから牽引台のブーツを装着していました。パリのNogier先生はPeripheral firstアプローチを用いていましたが、Bonin先生は、僕が産業医大の内田先生から教えて頂いたCentral firstアプローチを用いています。これは最初にまず牽引をして、大腿骨頭と寛骨臼の間にまずカメラを入れてしまう方法です。ただしBonin先生は手洗いをする前に一旦牽引して透視をみて、ポータルの位置と刺入角度を確認したら、あとは透視を片づけてしまいブラインドでCentral partを穿刺していました。牽引も、軽く徒手的に牽引した後で、牽引台のくるくる回すほうの牽引装置でだいたい20回転くらい牽引し、マーキングしたら20回転戻し、刺入する前に再び外回り看護師さんに20回回して、と言って牽引してもらう、という方法を取っています。この方法を用いれば、透視がなくても牽引の程度の再現性が得られるとてもいい方法だと感じました。また、足部だけに牽引負荷がかからないように膝上から牽引ブーツまで縦にテープを張り、牽引負荷が分散するような工夫もされていました。

最初のポータルの位置も我々の方法とほぼ同じですが、牽引したときにまっすぐ(患者さんに直角に、つまり遠位にも近位にも傾けなくていい位置から)central partに入るような位置というのはNogier先生と同じです。大転子の最近位部のちょっと内側のソフトスポットあたりだそうです。Central partに向かうには若干後方に傾ける方向になることが多いようです。セカンドポータルの位置は上前腸骨棘からパテラ中央に下したラインより2横指くらい外側で、ファーストポータルから4横指位の位置とのことで、これもいわゆるMid-Anterior portalの位置とほぼ同じか、やや近位の位置に来ます。まずエアで(還流液を入れないで)鏡視というのも一緒です。ちゃんと関節内にニードルが入っているかどうかの確認のためにシリンジで生食を関注することもありましたが、その場合には浣腸器で関注した水を吸引して抜いてでもまずはエアで鏡視していました。

関節包はポータル間を切開していますが、dysplasia(CE角25度以下)の症例以外は最後に関節包縫合は行っていません。初めにニードルを刺入したら、ニードルに通して細いガイドワイヤーを挿入し、次にスイッチングロッドをガイドワイヤーに通して刺入することで関節包の穴を大きくしていました。この時にはけっこう抵抗があるので、スイッチングロッドホルダーを使用しています(ストライカーのものは黒いボックス型、スミス&ネフューのものはT字型、これがあると便利です)。次いで、ガイドワイヤーを抜き、スイッチングロッドに通して、径4.5mmの金属カニューラを挿入し、カメラを入れます。

同様に2番目のポータルを鏡視しながら作成しますが、この時はスイッチングロッドに通して、径5.5mmと太めの金属カニューラを入れます。ただ5.5mmの金属カニューラは関節包を貫きにくいので、関節包の手前で止めておき、スイッチングロッドを抜いた後に、そのカニューラを通して慎重にビーバーメスを刺入して、メスで関節包を切開したあとで5.5 mmのカニューラを関節内まで進めていました。そして、カメラをスイッチして1番目のポータルが関節唇を貫いていないことを確認したのちに、1番目のポータルからメスを入れ、ポータル間の関節包を切開。その後で、1番目のポータルの方も5.5 mmカニューラに入れ替えます。そして、ここが味噌だと思うのですが、5.5mmカニューラを通してシェーバーを入れます!(ちょっと強引ですが、実際にはシェーバーを入れながら、金属カニューラを抜き気味にして、シェーバーの根本まで下げます)。シェーバーを抜くときは逆に金属カニューラを関節内に入れるようにしてシェーバーを引っ張る。アブレーダーは通らないですが、RFプローブやアンカー刺入の道具、アースロピアスやノットプッシャーもこの5.5mmのカニューラを通るので、ヘラを使わなくても道具の出し入れがスムーズで、縫合までこのカニューラで行けます!縫合はラッソーループなどは使わずにシンプルなマットレススーチャーを使用していました。カニューラの手前でピアスで1本糸をつかみ、そのままカニューラを通して関節唇を貫いてる間に、助手がもう1本の糸にノットプッシャーを通してモスキートを付けておく。これで軸糸がどちらになるかも迷わずに縫えます。

カメラや股関節鏡用デバイスはスミス&ネフューとストライカーの両方を使用していました。極力RFプローブは使わないようにされているとのことで、recessの郭清もシェーバーのみで、そんなに徹底しては行わず、シェーバーで臼蓋縁の骨が触れられるくらいになった段階でアブレーダーにスイッチしています。AIISの位置を中心に、内側は腸腰筋ノッチまでの範囲でacetabuloplastyを行うと話されていました。関節唇縫合に使用するアンカーはスミス&ネフューのもので、一番いい位置にまず挿入し、1個ずつ縫合しています。ノンスライディングノットで4回結んでいましたが、3回同じ方向に結び、4回目で逆にしていました。そして1個のアンカーで縫ったら、関節唇のスタビリティーをその都度確認し、OKなら終了。足りなければもう1個アンカーを追加、というように極力少数のアンカーで済むように縫合しています(だいたい1個か2個のアンカーで充分なスタビリティーを得られています)。関節唇を縫合したら牽引を解除するので、1-2個の縫合なら牽引時間も短くて済みます。

ついで、Camの切除へ。Camの切除はまず伸展・内旋位のままMid Anterior portalからの鏡視で Antero-lateral portalから外側のCam(Superior Cam)を削ります。関節唇からアブレーダー2個分くらい離れたあたりから、骨頭の球面の状態を確認しながら、球面状のカーブでなくフラットになっていればそこはCamと判断して削っていきます。もちろん、Bumpになっていれば当然削ります。ですのでSuperior Camは、場合によっては伸展位でも関節唇のすぐ脇から削るような形になるケースもあります。

次にカメラをスイッチして、前方のCam(Anterior Cam)を削ります。この時は股関節を45度以上屈曲させた状態で、関節唇のすぐ脇のところから削り始めていました。最後にSuperior CamとAnterior Camの間が残るので、そこを充分にチェックしつつ、ノーマルネックの谷までなだらかに削っています。ときどきCam側が肩のHill-Sachs lesionのように潰れていたり軟骨損傷があったりするケースもありました。

股関節鏡手術は大抵がデイサージェリーで、手術当日から歩かせて、帰れそうなら同日に帰宅します。なので、術直後から理学療法士が介入し、帰宅後の生活に対する指導を行います。具体的には、3週間くらいは一応、ロフストランド杖を持ってもらう(最初は2本)ことと、深屈曲だけは避けるように指導しているようです。荷重制限は行っていませんでした。

昔、肩の先生でbiceps killerと呼ばれる先生がフランスにいたそうですが、今でもフランスでは二頭筋長頭腱炎ではためらわずに二頭筋長頭を切離しています。それと同様に自分はpsoas killerかもしれない、とBonin先生はおっしゃっていました。Nogier先生のところにも腸腰筋腱の痛みの方が結構いらしていましたが、Bonin先生もそういう方には腱切離を鏡視下に行っています。Nogier先生は関節内で切離していましたが、Bonin先生は小転子部で切離します。最初に透視を見ながらカメラと鉗子を小転子の頂点まで、腸腰筋の下をくぐるようにして骨に沿って持っていき、そこでカメラを見ると上に腸腰筋腱が見えるので、そのままRFプローブでバッサリです。5分程度で手術は終了し、術後はしっかりストレッチを指導するとのことでした。時々、術後に足を挙げにくい方がいるようですが1ヵ月もすればしっかり挙げられるようになるとのことです。この手術はTHA後のpsoas impingement などで何年も苦しんでいる患者さんが一瞬で良くなるのですごいよ!と何度も話されていました。ちなみによくあるスポーツ選手の内転筋腱の痛みもなかなか取れない時は切っちゃうようです。鏡視下腸腰筋切離のポータルはMid-anterior portalとproximal mid-anterior portalの2つで、外旋位にするのがポイントのようです。

またNogier先生と同じように大転子部でのスナッピングヒップの症例に対しては、鏡視下に腸脛靭帯を切除するという手術も行っておりました。Nogier先生は楕円形に大きく切除されていましたが、Bonin先生は後方に凸の三角に切除するのが良いとおっしゃっています。あまり引っかからない前方の繊維は残すようにしているようです。

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↑ 病院の外観です。

 

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Bonin先生たちが開業したのはLyon-Ortho-Clinicですが、隣のClinique de la Sauvegardeの病棟と手術室を他科の先生たちと共同で使っています。

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↑棚形成の中の透視画像と使用しているT型プレート。

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↑股関節鏡時の牽引。足部だけに牽引力がかからないように。

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↑小転子部での鏡視下腸腰筋切離。

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↑ISAKOS期間中には産業医大・内田宗志先生たちが手術見学に来てくださいました。

 

留学便り13 (木島泰明)

この度、島田教授のご高配でフランスに留学させて頂いている木島泰明です。

非常に貴重な経験を皆さんと共有できるように、また、今後、海外へ、あるいはフランスへ勉強に行かれる方に少しでもお役に立てるよう留学便りを記してみました。

 

2014年12月27日(土曜日)出発

1回目のこともあったので、羽田で前泊することとする。

1回目の出発では息子・虎太郎の熱発で断念し、一週間、出発を遅らせた事の顛末はいずれご報告します。

 

と、留学便りの第1回目で記載しておりましたが、そろそろ思い出の地、羽田への帰路が近づいてまいりました。出発の時はいろいろあったみたいですね、詳細は?というご質問を受けるたび、いずれ留学便りで、とお返事しておりましたので、この辺で詳細を、当時、出発の準備に大変ご協力を頂いたAkita Hip Research Groupの皆様へのご連絡メールを一部改編する形で、ご報告致します。

 

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AHRG各位

 

今頃はパリ到着報告をしている予定でしたが、実はいろいろあり現在秋田です。

いろいろご心配くださり、盛大に送り出してくださったみなさんに事の顛末をご報告いたします。(無駄に詳細に記載していますが、あとで映画化された時のためのメモなので、暇な時に読んで下さい。)

 

12月20日土曜日、出発の前日。

虎太郎、幼稚園にてクリスマス会。いつになく緊張していたが、無事、羊の大役を演。昼寝をしなかったため、早めに寝付いたが、20時頃うなされて起きたところ、39度の熱発。

虎太郎、過去3回海外渡航しているが、そのうち2回はこんな感じ、アンヒバ200mg使用。本人は比較的元気そう。

 

12月21日、AM5時、39.3度。いつもこうなので坐薬で乗り切れると判断(今思えばこれが誤り…)、再度アンヒバ200mgを使用。大量の荷物(大型スーツケース2つ、50cm×50cm×50cmのダンボール3つ、手荷物2つ)を載せるためジャンボタクシーでAM6時に家を出発。水抜き完了、蓄熱暖房機の蓄熱もゼロに。

 

AM7時半のANAで羽田へ、8時半すぎ羽田国際線ターミナルに到着。インフルエンザ薬は大人用タミフルしか持参していなかったので、インフルエンザを疑い、羽田国際線ターミナル診療所(東邦大)を受診するも子供の薬は置いていないと言われ、診察や検査も受け付けて頂けず。第1ターミナルの診療所なら小児科医がいると言われるが、第1ターミナルに戻って診察を受けてくる時間はないので断念。

 

出国手続き完了し、フランス行きの便の出発ゲートに到着したのが、9時30分(出発は10時40分予定)。虎太郎、ちょっと具合悪そう、また39.3度、搭乗前にと思い再度アンヒバ200mgを使用、熱さまシートを1人で買いにいく。

 

10時前、妻から携帯にTEL「早く来て!!」

かけもどると、「ひきつけ」をおこした!とのこと。

すぐにANA職員に搭乗できない旨を伝え、大量の荷物を飛行機から降ろしてもらう。

 

虎太郎、徐々に落ち着くが、ぐったり。

出国したまま1泊できるホテルを確保できるとANAより伝えられるが、とりあえず病院を受診させたいので、ターミナルから出ることを選択。出国取り消し手続きに1時間。

 

大量の荷物も一度出国しているので、自ら税関を通って再入国させる。その後、ANAのカウンターであずかってもらう。この時点でほぼ正午。第1ターミナルの診療所は12時から13時まで休みなので、13時までは国際線ターミナル1階の救護室で休ませてもらうことに。

 

救護室の職員が診療所は1ではなく第2ターミナルですよ、と教えてくれる。。。

第1と聞いていたんですが、と答えたが、ネットで検索すると、東邦大クリニックは国際線ターミナルと2ターミナルにあると記載されている。

 

13時まで休み、虎太郎はかなりしっかりしてきたが、まだ水分を少量しか摂取できず。

13時に バスに乗って2ターミナルへ。バス停を降りてすぐに東邦大第2ターミナルクリニックがあるが、なんと午後の診療は14時からと書かれておりしまっている!

がっくりし、今後のことを相談。ホテルに泊まって虎太郎の回復を待つか、浦安の実家に身を寄せるか、秋田に1回帰るか。

 

ホテルではゆっくり休めないのではないか、この辺の病院もよくわからない、でも浦安の実家は猫がいるから虎太郎のアレルギー体質を心配して、まだ1度も連れて行っていない。

秋田に戻ったら天候が悪くて出直しできない?盛岡の妻の実家?荷物が多すぎる…

 

荷物は空港に預けられるが、荷物を開けないと今日の分の着替えもない…

荷物を運ぶにはそのまま飛行機に乗せてもらうしかない、、、

しょうがない、秋田に戻ろう、病院もかかりつけがある。

 

一度、荷物をあずかってもらっている国際線ターミナルにまたバスで戻り、ANAカウンターで、17時40分発の秋田便を予約。大量の荷物と熱でひいひいしている虎太郎を抱え、国内線乗り継ぎカウンターへ。

ここで、再度、荷物を預けて、第2ターミナル診療所へ、14時を過ぎていたので受診。

しようと思ったら、子供の薬は置いてないと,,,,  え!?

 

第1ターミナルの診療所なら小児科医がいる…と。

ANAの人が正しかった。のか。

第1ターミナルの東邦大と関係のない診療所は13時からやっていたし、小児科医もいた、、、

 

再び虎太郎をかかえ、バスで第1ターミナルへ

バス停から結構歩いて奥の方に診療所を発見

14時半、ようやく小児科医の診察

インフルエンザは陰性。

この時間でうっすらとも出ていないのでインフルエンザではないでしょう。

痙攣を起こしているので、インフルエンザだと脳炎も心配でしたがそうではなさそうなのでただの熱性けいれんでしょう、はやめに秋田に帰ったほうがいいかもしれませんね。

 

17時40分の秋田便を待つあいだ、朝から飲まず食わずだったので、再びバスに乗ってANAのある第2ターミナルに行ってからレストランに入る。虎太郎の熱がまた上がってきているが、また座薬で下げようとすると痙攣を起こすかも、と考えていた矢先、15時半 、再度、けいれん。

 

結局我々も食事も取れず、すぐにまたバスに乗って第1ターミナルに引き返し、診療所でもう一度診てもらう。

16時、ダイアップ座薬6mgを使用。

今日は飛行機には乗せないほうがいいと言われる。

 

17時40分の飛行機をキャンセル。

荷物をまた飛行機から降ろしてもらい、一応、翌日の便を予約。

でも荷物は一度引き取ってもらわないと困ると言われる。

 

しょうがないので荷物を運びやすい第2ターミナル直結のエクセルホテル東急を確保。

もう一度、第2ターミナルへ向かい(この時はなぜか地下通路を歩いてのターミナル間移動を勧められる)、虎太郎を抱えた腕がパンパンになりながらなんとかホテルチェックイン。

 

18時30分。虎太郎をようやくベッドに横たえ、われわれも弁当で食事。

その後、徐々に虎太郎も回復、水分もたくさん取れるようになり、近くの東京労災病院の受診はしないことにし、ホテルでしっかり休み、翌日の帰秋を目指すことに。

しかし、フランスからは夏に帰る予定だったので、蓄熱暖房器を完全にオフにした我が家に今帰れば厳寒状態で虎太郎も凍えてしまう!→ミサワホームと近くに住む妻の友人に頼み、蓄熱暖房器の再稼働をなんとかやってもらう。

(これを完全にオフにするとそこからのリカバリーは結構むずかしいのです。)

 

8時間後にもう1回と言われていたので、午前0時ころに再度ダイアップ6mg使用。

熱冷ましを使うならその30分後と言われていたので0時30分、アンヒバ200mg使用。(実は2歳のときにも一度熱性けいれんを起こしており、その時もアンヒバ使用直後だったため、びくびくしながら使用。)

 

翌12月22日月曜日、朝7時ころ、虎太郎はすっかり解熱、妙に元気。

ダイアップのせいか少しフラフラしているがお腹がすいたからコンビニに行ってそれからフランスに行こうよ、などど言う。

 

虎太郎、おにぎり、サンドイッチをペロリと平らげ、まだ食べたいと。

前日は全く何も食べていなかったとは言え、急にそんなに食べて大丈夫か!?

 

熱の原因は不明で、熱に対する治療はしていないので、また上がるかも。

今のうちに秋田に帰ろう。

AM9時55分羽田発秋田行きで帰秋。

(教授とAHRG会長には報告しており、会長からは空港まで迎えに来て下さるなんていう本当に温かいお言葉を頂き、ほんとうに感動しております。でも無事に家まで戻れました。)

 

すぐにかかりつけのY小児科に連絡するも、2回もけいれん起こしているなら大きい病院に行くよう言われ、(一応、大学の小児科外来にも連絡してみるも感染症の子供は入院が必要となると大学には入れづらいので、と勧められた他の病院の救急外来を受診。

 

急外の研修医の先生にお話し、インフル、アデノ、溶連菌の検査と採血をしてもらったあと、T先生に丁寧に診ていただきました!結果的に月曜日になってからは一度も熱発はなく、インフル、アデノ、溶連菌ともに陰性で、CRPは2ぐらいですが、白血球は正常、喉は赤い、鼓膜はちょっと腫れているかどうかくらい、ということで何らかのウイルス感染で熱が出て、たまたま熱性けいれんを起こしただけでしょう、と言われましたが、せっかくなので、念のため脳波検査を水曜日にやって、木曜日の小児神経の先生に診てもらえば、再スタートできるだろう、ということでした。

 

というわけで、このあとまたANAに掛け合ってみますが、丸1週間遅れの12月28日のパリ便に空きがあれば再出発を計画したいと思います。今度は前泊したほうが安心かも、などと考えています。

 

この度は大変ご心配をおかけして申し訳ありません。

みなさんの今後のご旅行等に参考になればと思い(それと自分たちの記録のために、こちらのほうがメイン?)メールさせていただきました。

 

みなさん、お忙しいと思いますので、返信していただかないくても大丈夫です。

また今後のリスタートの後にはご報告をさせていただきたいと思いますので、楽しみにしていてください。

 

木島泰明 拝

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

というわけで、なんとか、おかげさまで脳波検査に明らかな異常も見つからず、虎太郎も出発予定日当日の熱発以外は全く元気で、12月28日には再出発でき、今に至っております。上記の出発遅れに関しても多くの方にご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。また、多くの方のご尽力で再出発でき、充実したフランスでの研修、そして生活が送れたことをこの場をお借りして、お礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

 

留学便りはまだまだ続きますので、お楽しみに。

(という時は、テレビ番組では、そろそろ終わりですが!?)

写真1 (1)

クリスマス会での「ひつじ」の役のあとの虎太郎。レトロスペクティブに見るとこの時点で結構具合悪そう!?

写真2 (1)

熱発しながらの秋田発羽田便。秋田に戻ってくるのも半年後だね、といいながらの出発でしたが、翌日、戻ってきました。

写真3 (1)

国際線ターミナル1階の救護室の写真です。空港職員、ANA職員、そして3か所の空港診療所のみなさんにはいろいろお世話になりました。

留学便り12   (木島泰明)

2015年1月から半年間のフランス研修をさせてもらっております。2015年3月から4月までは、パリのClinique Maussins-Nollet で研修させていただきました。今回はこのクリニックの股関節外科医、Alexis Nogier先生の人工股関節置換術(THA)についてレポートしたいと思います。(今回は少し専門的な情報です。)

 

ヨーロッパで唯一(とのことでした)のカスタムメイドステムを作成している会社 ”Symbios” というメーカーのものを基本に使用しているのがNogier先生のTHAの特徴です。摺動面はCeramic on Ceramicが基本。スクイーキングについて聞いてみると、そういう症例はまずいないし、起こるとすればマルポジションのせいではないかというご意見でした。

 

アンリ・モンドール病院ではTHA症例のほとんどはプライマリーのようなケースでしたが、Nogier先生のところに紹介されてくる患者さんたちは軽度ではありますが、寛骨臼形成不全由来のOA(変形性股関節症)と思われる患者さんも半数近くはいらっしゃいました。ただほとんどは骨移植を要さない程度の形成不全です。

 

Nogier先生のTHAは、フランス人Robert Judet考案の牽引手術台を用いた仰臥位での前方進入法を用いているのがもう一つの特徴です。皮切は上前腸骨棘の下1横指くらいから腓骨頭へ向かう方向に約12 – 13cmくらい。いわゆるMISのアプローチの1つであるdirect anterior approachを使用していますが、皮切長ではなくマッスルスペアリングにこだわっているとの事。ただメインの皮切は短めで済ませて、リーマーを入れるだけの別の皮切を置く2皮切を用いる場合もありました。

 

Nogier先生は高めの椅子に座って執刀します。このアプローチでは少し下から覗き込むようになるため、術者が立って手術台を高くするよりは、術者には座ってもらって、助手は立ってやる方が確かにやりやすいと感じました。また、このアプローチでは、外側大腿皮神経損傷が問題になることがありますが、注意して慎重に皮膚切開と最初の展開をしているためか、知覚鈍麻が起こる症例は5%程度あるそうですが、半年程度で症状がなくなることがほとんどで、paresthesiaを起こして治療が必要になった例は数百例中1例のみとおっしゃっていました(その症例も数か月で治療は不要になったそうです)。

 

最初はアドソン開創器を使い、深くなってからはチャンレー開創器を使用していました。必要に応じてホーマン鈎を前方や下方にかけています。展開時の血管は必ず結紮されていましたが、よりディスタールの血管には触らず、それより近位で勝負する、というようなことをおしゃっています。

 

関節包は基本的には温存せずに切除しています。大腿骨頸部をカットしたら少し牽引。頸部は2か所で切って輪切りにすると取りやすいようです。輪切りにした頸部のみ取ったあとでコルク抜き状の骨頭抜去器ではなく、20ミリ程度のノミを骨頭に頸部側から差し込んでぐるぐる回して骨頭を取っていました。これも使える技かもしれません。ここでさらにほんのちょっと屈曲位で少し牽引すると臼蓋が結構よく見えます。

 

関節唇を切除して(あまり骨棘を取らなければいけない症例は多くない)前後壁及び上方の臼蓋縁が触れられればリーマーへ。カップのリーミングは指で触った感覚、すなわちリーマーやトライアルカップと寛骨臼の辺縁の差を触診した感じでCTテンプレートとの相違がないように掘る方向を確かめながら、基本的にはどの症例も「なり」に設置するという感じでした。ダブルフロアが消えて外板が少し削れればOKとしています。セイムサイズのリーミングで、プレスフィットが弱いと感じた時のみスクリューを併用されていました。本物のカップを打ち込んだ後で前開きが強すぎたとかいう場合には結構あっさりやり直しをされていました。スムーズにいくと、カップ設置まで15分です。日本ほど洗浄をしないせいもあるかもしれませんが、早いです。Anterior approachではカップが立ちやすく前開きがつきやすいので注意して、とアドヴァイスを頂きました。

 

大腿骨側を処置する時にはトラクションをゆるめて最大外旋位にして、小転子からの骨切りの高位を確認します。そして必要ならネック切り直し。OKならば牽引台の力で、股関節外旋位のまま、伸展かつ内転位に持っていくと髄腔が良く見えてきます。最大外旋位にしているので、髄腔の内側がほぼ天井を向く格好になります。

 

短外旋筋群の手前まで大転子の後方のカプセルをリリースして、そこにホーマン鈎をかけて下から大腿骨を持ち上げる、あるいは短鈍鈎で大腿骨をぐっと1回持ち上げることで緩ませる、とのことです。ラスプがある程度入っちゃえばホーマン鈎を外してもラスピングできるようです。ラスピングは弧を描くようにして、決してまっすぐに入れようとしないようにと注意して下さいました。

 

カスタムメイドステムとは、その患者さんの髄腔に合わせて作ったオーダーメイドステムです。そして、もちろんラスプもそのステムの形と同じカスタムメイドラスプ。通常のラスプのように小さいものから順番に大きくしていけず、1つしかラスプがないのでまずは鋭匙で髄腔内の海綿骨を掻き出してから、そのラスプでラスピングします。その患者さんの形に合わせて作っていますから骨切りの位置が間違っていなければ予定の位置まで入るはずですし、入らなければ何かがおかしいということになります。大抵は大転子部分の外側の海綿骨が残っていることが多いのでそこを鋭匙でまたガリガリやってラスピング。目標の位置まで入れば、それ以上は入らないはずなので迷わず本物のステムへ。そして当然本物もその位置まで入れば、ヘッドの中心も設計者が意図した位置に来ることになるわけです。すばらしい! もちろんカップが意図した位置に入っていれば、の話ですが。つまり、カップは「なり」に入れたとしてここに入る、とすれば脚延長何ミリでコンバインドヴァージョン何度でオフセットが小さくならない(基本的にはオフセットを変えないように)その患者さんに合わせたステムをCTデータをもとにオーダーメイドで作成しておけばいいわけです。

 

高齢女性など骨質が悪い時にはセメントのカスタムメイドステムを使用しています。セメントは抗生剤なし。セメントテクニックはアンリ・モンドールと同じでした。ヘッドをつけたら外旋から内旋に戻しながらヘッドを内側に押して整復します。整復したら伸展位から中間位に戻して牽引を解除。ここで中間位のまま少し外旋して前方脱臼しない事を確認。外す時は短鈍鈎で引っ張りながら牽引して外旋。縫うのは筋膜と皮下のみなので、スムーズに行けば30分で終了です。

 

カップが小さくて骨頭が28mmしか使えない時には出来るだけカプセルも前方を切ってめくっておいて後で縫合していました。ちなみに、このクリニック、8月はバカンスのシーズンなので手術なしとのこと!フランスではバカンス第1!なので、8月あたりはお店もしまっているところがほとんどだそうです!フランス旅行の際には要注意です。

 

Nogier先生は、外来でTHAの適応の人がいれば自分のフィロソフィーを説明するのだ、とおっしゃっています。つまり、自分はDirect anterior approachを用いており、muscle sparingを大事にしている、そしてより精度を高めるためにはカスタムメイドステムを勧めます、というお話を患者さんにして、同意していただけた場合には手術の予約を、という形になりますが、カスタムメイドステムは通常のステムより患者さんが支払う値段も高いので、そこだけ同意いただけない場合は少し安い通常のステムで手術を行うこともあります。

 

THA後数か月から数年で出現した股関節前方の痛みで、腸腰筋を使う動きで痛い場合には腸腰筋インピジメントでしょうという症例も結構いました。その場合にはまずラディオロジストにお願いしてエコー下に腸腰筋に局麻を注射して痛みの取れ具合を見て診断。腸腰筋ブロックでの除痛で不十分であればスコピックに腸腰筋腱切除をしていました。THA後に脱臼を繰り返すのでデュアルモビリティカップに変えたら腸腰筋由来の痛みが出たという症例も紹介されてきていました。

 

FAI由来や軽度の寛骨臼形成不全由来の関節唇損傷がメインの痛みのような患者さんでも、CTで一部でも関節裂隙が1mm以下ぐらいまで狭小化している部分があれば関節鏡ではなく迷わずTHAを勧めるようです。痛くてサッカーができないという主訴の変形性股関節症の方が来た時に、サッカーはTHA後半年からやっていいと言っていたのも少し驚きでしたが、サッカーを辞める?それともTHAをやる?という2択を提示できるところがすごいと思いました。保存治療を選択した場合には、家庭医のようなかかりつけの先生にお願いしてNSAIDsを投与してもらうか、放射線科に依頼して定期的にステロイドの関注をお願いするか、という感じでした。

 

THA後の痛みでエコーによる軟部組織の評価やCTによるインプランテーションの問題を検索しても原因がはっきりしない時には、骨シンチを重視していました。感染よりもゆるみの可能性をシンチで判断することが多いようです。痛みが強くシンチで明らかにアップテイクがあればすぐにリヴィジョンを勧めていました。ただ、もちろん触診や採血結果で感染が強く疑われる症例はやはり放射線科での関節穿刺と培養を勧めています。

 

THA後の反復脱臼で紹介されてきた患者さんの場合には、デュアルモビリティカップに代えてオフセットを付けて、可能なら外旋筋の修復も行うというのが基本方針のようです。リヴィジョンの理由に寄らず、基本的にリヴィジョンの手術に関してはdirect anterior aproachではなく、側臥位の後方アプローチで入っていました。ちなみに、プライマリーTHAでも、75歳以上の患者さんの場合には、第1選択でデュアルモビリティカップを使用する、という方針のようです。

 

おまけですが、このクリニック、膝の、特に人工膝関節置換術に関しては、パリで2番目に多い件数を誇るようで、1回見せてもらいましたが、ブレインラボのナビを使って、機種はデピューの、セメントレスの、モバイルベアリングTKAを施行していました。執刀医の話では、術中に麻酔下でスタビリティをチェックすると少し不安定かなと心配になって「スティフ」にし過ぎちゃうことがあるので、その辺を注意したほうがいい、というアドヴァイスを頂きました。そして、ナビを使ってはいるけれど、ナビの結果にこだわりすぎずに、その患者さんに応じて微調整が必要だと教えてくださいました。ちょっと驚いたのは、手術の最後に顆間部に結構な量のサージセルみたいなものを留置してきている点でした。タニケット開放後の出血を押さえるのに効果的だそうです。そして滑膜は出来るだけ残すようにしているそうです。ACL再建はSTをグラフトにしたシングルバンドル再建で30分くらいでこなしておりました。TKAもACLも看護師さんと2人だけで手術されていました。Nogier先生のTHAも僕のようなフェローがいない時にはミラさんと2人だけでやっているそうです。

 

写真1-2

↑圧布のかけ方。牽引台を外から操作しやすいように片足ずつではなく、両足にバサッと圧布をかけます。露出部分は皮切開部位のみ。チャンレーの開創器を使用。

写真2-2

↑CTでカップ側の3Dテンプレーティングを行い、オフセットや脚長などを設定するとステムの形状が決定され、自動的に描画もされる。2週間後にカスタムメイドのステムが完成する。

写真3-2

↑左が実際のカスタムメイドステム、右がカスタムメイドラスプ。下はカスタムメイドセメントステム。頸部骨切りラインも3Dテンプレーティングから自動的に算出される。

写真4-2

↑術後のレントゲン写真と応力解析の図です。Alexis Nogier先生には最先端の手術を見せて頂いただけでなく、パリ滞在に関しても多大なるお世話をして頂き、本当にありがとうございました。

 

留学便り11 (木島泰明)

パリからオランダのアムステルダムまでは約430km。東京から秋田県南までとほぼ同じだが、ヨーロッパの高速道路の制限速度はだいたい130km/時だから、4-5時間もあれば着くだろう。朝9時に出ればホテルチェックインの15時までには着きそうだ、という予想は、妻的には案の定だったらしいのだが、完全に外れた。レンタカーはモンパルナス駅でのピックアップで予約してある。ポルト・ドゥ・ヴェルサイユのアパルトマンからモンパルナスまではメトロ12番線の1本で行けるために選び、rentalcars.comで予約したその会社Citer は駅からは意外に遠かった。フランスに来て最もお世話になっているアプリの一つで、iPhoneにプレインストールされている地図アプリにCiter モンパルナス店の住所を入力して歩く。着いてからの手続きがまた長い。保険やらデポジットやらチャイルドシートやら、もちろん必要な手続きなのだが、今回の旅行の目的を、知ってはいても理解してはいない妻や、知りもしない虎太郎にとっては、早起きさせられた挙句にここで待たされるのは苦行でしかない、という様子だ。
「なんでアムステルダムなの?」
「せっかくだから、あれやってみたいでしょ、ヨーロッパ21ヶ国完全制覇!」
「水曜どうでしょう?
そんなのは、どだい無理でしょう? だいたい21ヶ国しかないはずないし」

 

EUの、特にシェンゲン協定条約締結国間の移動にはパスポートコントロールがいらない。それならば、国境を陸路で自分で運転して通過してみたい、できれば、なるべく多くの国を「通過」してみたいという目標のもと、今回はベルギーを通過し、オランダを目指すことにした。

ベルギーと言えば、ワッフルの他に思いつくのは、首都ブリュッセルにある世界三大がっかり名所の一つ、小便小僧だろう。例の地図アプリで小便小僧と入力すると見事にブリュッセルの小僧にヒットする。これをカーナビ代わりにパリを出発。今回はオートマ車をリクエストしたところ、ラッキーなことに、ほとんど新車と言ってもいいくらいのトヨタプリウスが配車された。手続きに手間取り、結局10時過ぎにパリを出発したため、市街地を抜けて高速に入ったところで渋滞に巻き込まれる。パリから北へ向かうにはシャルルドゴール空港へ向かうためのこの道を通ることになり、この時間の渋滞は必至だ。

結局ブリュッセルで高速を降りたものの、トラムやら一方通行やらに阻まれて小便小僧にはたどり着けず、高速のサービスエリアでワッフルを買っただけで、そのままベルギーは「通過」し、アムステルダムへ急ぐことに。それでもホテル・オークラ・アムステルダムに着いたときには18時を回っていた。が、妻が自ら選んだランクの高いその部屋がパリのアパルトマンに比べてあまりに快適なために妻も虎太郎も機嫌がいい。ホテルそのものもとても快適でプールにジャグジーもあり、日本食レストランもある。我々はジャグジーで暖まった後に、ホテルの外にある日本食の居酒屋風の店で夕食。久々においしい唐揚げも食べられ、広いベッドでゆっくり休む。

オランダの首都アムステルダムは、運河沿いに立ち並ぶ建築群の美しさが有名な水の都。翌日はゆっくり運河沿いを歩きながら国立美術館まで行き、有名なフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を見た後、ダム広場、王宮を経て、ゴッホ美術館で「ひまわり」を堪能。まだオランダのチューリップには早い時期で寒かったものの天気はよく、コンセルト・ヘボウの隣の公園も綺麗だ。昼食はアンネ・フランクの家の隣のカフェで取ったものの、夜はまた「居酒屋」で夕食、翌日のドライブに備える。

帰りは朝早めに出たものの、途中、「ミッフィーちゃん」の作者のふるさと・ユトレヒトにあるミッフィー美術館などに寄ったものだから、パリ・モンパルナスのCiterに着いたのは20時近く。17時に返却予定だったため、追加料金を取られたうえ、メトロで狭いわが家へ。でも、これでフランスを含め3か国制覇だ。

ということで、2回目の小旅行では、前日夜から車を借り、帰宅翌日に返す日程とすることで出発もスムーズで、まっすぐ家に戻れる。今度はルクセンブルグを通過してドイツのケルンに向かったものの、結局、距離はアムステルダムより若干短いのみで、時間は同じくらいかかった上、天気も悪く、ケルン大聖堂の目の前のホテル-エクセルシオール・ケルンの部屋からは大聖堂は見えず、妻のケルンに対するイメージは「カタストロフィック」だ(フランス人は「最悪~」みたいなときに時々カタストロフという単語を使う)。一方、虎太郎はドイツで、大好きなジク社のミニカーをたくさん買ってもらったせいで今でもドイツが大好きだ。創業以来、世界中の子どもから大人までを魅了し続けているsiku(ジク)社。 1921年に自動車産業国のドイツで生まれ、今では世界100カ国以上へ輸出しているヨーロッパのトップブランド。ルクセンブルクは隣のドイツよりもガソリン価格が平均20パーセントも割安なことから、週末に車を満タンにするためにルクセンブルグに出かけ、ついでに同じように安いコーヒーやタバコを買っていくドイツ人が多いらしい。我々もガソリンを入れて、もちろんタバコは買わずに「通過」した。

これで5か国制覇したものの、パリからの小旅行としてイギリスは外せない。しかし、イギリスはシェンゲン協定に入っていないため、滞在許可証のある我々大人は良いが滞在許可証のない虎太郎が、90日以上のフランス滞在を理由にパスポートコントロールで再入国できないと困る(虎太郎もビジタービザは持っているものの、滞在許可証の制度は未成年には適応されず、その代りとなるDCEMカードも両親のフランス滞在が半年を超えないと申請できない)。OFII(移民局)からの「未成年者は滞在許可証制度がありません」という書簡を持っていればOKかもしれないが、面倒なことになるよりは、ということでパリからの小旅行の最後はモン・サン・ミシェルに。

モン・サン・ミシェルはパリから車でちゃんと4-5時間で到達できる。今回もモン・サン・ミシェルに最も近いホテル、ル・ルレ・サン・ミシェルを確保。モン・サン・ミシェルはご存知の通り、満潮になると周りを海に囲まれる。モン・サン・ミシェルへの堤防道路は1870年代に設置されたが、次第に土砂の堆積が進み、海に囲まれた修道院が見られなくなってしまったことから、潮の流れをせき止めにくい新たな橋の建設が始まり、つい最近完成した。堤防道路の撤去作業は今も続いており、2015年夏ごろに完了する予定とのこと。モン・サン・ミシェル保全地域は基本的に車の乗り入れは禁止されているが、我々のホテル、ル・ルレ・サン・ミシェルは保全地域内にあるため、チェックインの前日に保全地域に車で入るためのコードナンバーをメールで聞いておく。こうすることでモン・サン・ミシェルへの新しい橋の袂にあり、部屋から大きくモン・サン・ミシェルが見られるル・ルレ・サン・ミシェルまで車で行ける。ダブルルーム-デラックス(バスタブ付き)からの眺めはこんな感じ↓。ヨーロッパ21か国完全制覇は無理でも過半数の11か国制覇まであと6か国。

写真1

↑左が部屋からのMont Saint-Michel。右上が水に囲まれるところ。大潮の日がお薦め。Mont Saint-Michelの中も綺麗です。

写真2

↑左の2枚はアムステルダム。右は、なんとなくかわいい高速道路脇のフランスの電柱?

写真3

↑とにかく大きいケルン大聖堂とドイツのソーセージ。

写真4

↑ミッフィーの故郷ユトレヒトには、1つだけミッフィーちゃん信号とレインボー横断歩道があります。

写真5

フランスの高速道路会社はSANEF。無料区間と有料区間があります。

写真6

Mont Saint-Michelの帰りに立ち寄った、ジベルニーにあるモネの家。ここもとても綺麗です。パリからだとおよそ1時間で行けます。

 

ということで今回はパリから行ける小旅行情報でしたが、現在、我々はリヨンに滞在しています。リヨンでは今、国際関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会ISAKOS2015が開催中で、秋田からも5名の整形外科医が参加されています(昨日は日本のお土産をたくさんいただいてしまいました!)。この学会の模様やリヨンのレポート、あるいはリヨンから行ける小旅行情報などもいずれお伝えしたいと思いますが、そろそろ我々も帰国準備です。ということで、留学便りは帰国後も続きそうです。

 

そして、次回はNogier先生のTHA情報の予定です。

お楽しみに!

 

木島泰明先生 留学便り9

現在、島田教授のご高配で、Alexis NOGIER先生のもと、Clinique Maussins-Nollet(パリ)で研修させて頂いている木島です(これがアップされる頃はLyonに移っていると思われます)。今回はパリのHôpital Necker-Enfants malades(ネッカー小児病院)についてご紹介致します。ここは僕が研修させて頂いたわけではなく、うちの息子が入院してお世話になった病院です。ということで、これからパリに留学される先生達も読んで下さっておりますので、子連れでパリに滞在するのに役に立ちそうな情報も含めてご報告したいと思います。(ちなみに次回はNogier先生の股関節鏡情報の予定です。)

 

我々のパリ滞在は4か月と短いものの、せっかくだからと息子の虎太郎(4歳)を、パリの日本人幼稚園に通わせています。おかげで妻にはママ友ができ、ママ友のみなさんからの情報で大変助かっています。一度、虎太郎の鼻水と咳が止まらないために、日本人セクションというのがあって日本人のドクターもいるアメリカン・ホスピタルを受診しましたが、そこの情報もママ友さん達から頂いています。そしてそこの三村先生に伺ったところ、子供の救急の際はHôpital Necker-Enfants maladesを受診するのがよいと教えて頂いていました。

そんなある夜、虎太郎がお腹が痛いと泣き始めました。以前にも同じようなことがあったものの自然におさまったために、今回も少し様子をみていたのですが、一向におさまらないどころか徐々に泣き叫ぶように痛みを訴えるまでに。フランス語に自信のない我々はためらわれながらも仕方なく、最寄りのメトロの駅付近のタクシー乗り場まで、泣く虎太郎を抱えて急ぎました。こんな時のために、AIU海外旅行保険の証書、母子手帳のフランス語訳、パスポートその他などはセットにして置いていましたので、妻にそれらを持ってもらいタクシーでネッカー病院に向かいました。タクシーの運転手さんもまっすぐ救急入口に向かってくれます。

救急に入ると受付に10人程度の患児とその家族が並んでいました。虎太郎の痛みもいくらか落ち着いたのか泣き止んでいたので、焦らずにその列に並びながら、フランス語の辞書をアイフォーンでめくり、病状説明の文章を組み立ててみる。「彼はお腹が痛い、下痢はしていないが吐いている」。内科は1時間待ち、整形は3時間待ちと書いてある。小児病院なので、小児科と子供の外傷だろう。15分位で我々の受付の番になる。言いたいことは伝わった感じだ。熱はないか、既往歴はないか、と確認されたらしい。熱はない、アレルギーの薬を飲んでいます。通じた?かな。じゃあ待ってて、と言われてから、30分も待たないうちに呼ばれ、個室(診察室、たくさんある)に案内される。

しばらく待つと英語を話せない看護師さんがまず登場。虎太郎は裸にされ身長と体重を測られた後、滞りなくバイタルを取られる。問診はフランス語の辞書に入力してもらいながら何とかクリアー。少ししたらドクターが来るからと言って行ってしまう。続いて現れたドクターは若めの女医さんで、英語のレベルも僕ぐらいでわかりやすい。母子手帳のフランス語訳を渡して、簡単な問診の後に診察。「ただの胃腸炎だと思うけど、水とか牛乳よりコーラなどを15分おきに飲ませてみて」?ん?聞き間違えか?水とかスポーツ飲料を飲ませてということだよね!?でも飲み物は持参してきていないので自販機を探しに行く。クレジットカードで買える自販機を見つけたものの、スポーツ飲料は売っていないので仕方なく虎太郎の好きなリンゴジュース(フランス語でジュ・ド・ポム)を買って戻ってみると、虎太郎は個室から中待合室みたいなところに移されコーラを飲まされている! あとで調べたところによるとフランスでは胃腸炎の際には、糖分や水分の補給と炭酸の効果(どういう効果かは不明!?)を期待して赤いコーラ(つまりライトでもゼロでもないやつ)を飲ませる(大人でも!)らしい。それを15分おきに飲んでは吐き、吐いては飲み(飲まされ)、エコーまでやって頂いた(ラディオロジストが呼ばれて検査してくれる、特に異常なしとのこと)が、腹痛は軽減したものの嘔吐はおさまらず(ですよね)、このままでは返せないので「入院して点滴ね」ということに。

小児の点滴スペシャリストみたいな看護師さん(日本でもいますよね)が現れ、採血と血管確保してくれた後に病室へ。幸い個室で、付き添いの親のためのビーチチェアみたいなベッドも1つある。とりあえず今晩は補液で様子をみて、明日、ご飯が食べられたら帰れるでしょうとのこと。しかし、翌日の朝食はチョコレート、コーンフレーク、ヨーグルト、クッキー、マドレーヌ! お粥がいいんだけど、お粥が、と言ってもあるはずもなく、とはいっても案の定、このメニューではこの状況で虎太郎も全く手が出ず、断念。ようやく昼過ぎになって水分は吐かずに摂取できるようになってきたので、昼食(というかお菓子ですよね)は我々が食べて、虎太郎が食べられるようになったことにしたところ、午後から来た別のドクターの診察を受け、夕方にようやく退院となりました。アパルトマンに帰ったら、すぐにお粥を食べさせました。

というわけで、点滴のおかげで脱水にならずに無事回復させていただき、大変お世話になりました。ちなみに料金はだいたい1500ユーロでしたが、AIUに連絡したところ、病院と直接交渉してくれて、自己負担も立て替え払いもなしですみました。やっぱり海外旅行保険は大事ですね。

ちなみにフランスでは、たとえば尿路感染を疑われた時には(実際、虎太郎もそういうことがあったのですが)、尿検査の処方箋をもらって、開業している臨床検査医のもとを受診し、検査してもらい、結果が出たらそれを持ってまた小児科医のもとを受診しなければいけません。画像検査が必要な時も、開業している放射線科医で検査してもらいます。ですので、整形外科を受診する患者さんは、放射線科で撮ってもらった画像を持って受診し、受診後にはそれをまた持って帰ります(エコー検査もエコー下の関節穿刺なども放射線科医が行います)。もちろん救急を受け付けている総合病院では画像検査も臨床検査も可能ですが。

写真1

人生初の点滴と入院。そしてお菓子な病院食。

写真2

Dolipraneというのがいつも出されるアセトアミノフェンの内服薬。

右は抗生剤。瓶に粉が入っていて、ここにミネラルウォーターを足してよく振り、どろどろになった液体を付属のシリンジで患児の体重の目盛りまで吸って内服させる。

右下は市販されている予防接種薬。これも処方箋をもらい薬局で買ってから、小児科などに持っていって打ってもらう。

写真3

ルールがあってないようなパリの運転も徐々に慣れてきました。

四方から車や人が来るのでとにかく市内はゆっくりに限ります。

右上は冬の凱旋門、右下は春の凱旋門です。パリは温かい時期がおすすめです。

写真4

ただし冬だけの限定版は、写真左上のコンコルド広場の観覧車と写真右上のエッフェル塔の上にある!アイススケート場です。写真左下はバスティーユ広場。このすぐそばにOFII(移民局)があります(写真右下)。ビジタービザで渡仏した場合はここで指定の日時に健康診断を受けて滞在許可証をもらう必要があります。結構な人数が開門前に並びます。

写真5

パリの街中は犬の糞に要注意!(写真左上が注意の看板!?)。写真右上は、ふんじゃったところ!。写真の下段はパリのメトロ(地下鉄)です。車両によっては自動ドアではなく、駅についたら自分で取っ手を回転させて開きます。

写真6

 シャンゼリゼ通りのレオンというお店はムール貝で有名。子連れでも入りやすく、貝以外のメニューも充実しています(写真左)。オペラ地区にはラーメン屋をはじめ、本当の日本食屋さんがたくさんあります(写真右上)。でもこの地区はスリやひったくりが多いそうで要注意。僕も一度家族で歩いている最中にジプシーと呼ばれるおばさん集団に後ろから両腕をつかまれ身動きできない間に財布を取られそうになりました。

 フランスでは外食税が20%かかるので高いです。ステーキならフランスの大手スーパーMonoprixのビフテキと書いてある肉を買ってきて家で焼くのが楽だし安いです(写真右下)。

写真7

4月の後半だけ広いアパルトマン(マンション)に引っ越しました。今までの狭いアパルトマンと同じ15区ですが、セーヌ川沿いのビラケム橋とグルネル橋に挟まれたこの地区はこのようなマンションやホテルが立ち並び、タワー群と呼ばれています。広いと言っても18畳程度のワンルームですが、窓からは夕日とセーヌ川と自由の女神(隣のタワーが邪魔でエッフェル塔は見えませんが)が見え、近くには子供が遊べる公園、焼き肉店、ボーグルネルと呼ばれるショッピングセンターがあり、日本人も多く、とても住みやすいところです。予算が許せばパリ滞在はここが一番と、日本人のみなさんは口をそろえておっしゃいます。

 

写真8

ブローニュの森にある庭園と遊園地は子供に人気ですが、そこにルイヴィトン財団美術館があり(写真左上)、ノルウェーのオスローからムンクの叫びも来てました!写真右上はマカロンで有名なシャンゼリゼのラデュレというお店ですが、食事をできるスペースもあり子供も食べやすい小さいハンバーガ-もおいしいです。写真左下は日本人セクションのあるアメリカン・ホスピタル。こっちの日本人はアメホスと呼んでいます。写真右下は毎年4月の初めころに開催されるパリマラソンのスタートの場面。パリの名所をすべて回るので、世界で一番美しい42.195kmと言われています。

 

写真9

日本語のわかる歯医者さんもネット検索でヒットします。写真左上は妻が治療を受けているところ。普通の家(大きなアパルトマン)で開業しています。ここは奥さんが日本人なので通訳してくれました。写真右上はガソリンスタンド。最初に機械でクレジットカードでの支払い手続きをしてから給油するタイプとあとで店内で料金を支払うタイプがあります。写真下段はコインランドリー。けっこうあちこちにあります。こっちの洗濯機は、洗剤を入れる場所が2つと柔軟剤を入れる場所が1つあり、洗剤を入れる場所が2つあるのは、1回目の洗濯用と2回目の洗濯用だそうです。2回洗ってすすぎに入るんですね。

 

写真10

車好きの子供にはエッフェル塔近くの公園で日曜日には2ユーロでゴーカート(自分の足でこぐやつですが)ができます。トロカデロのシャイヨ―宮近くには水族館も(写真右下)。定番はパリのディズニーランド。お城がピンクで女子に人気です。パリ市内からRERという国鉄に乗って行けます。パリ市内を出発して1時間くらいはかかりますが。RERのラインAの終点で下車してください。車好きのお子様の場合はホテル・サンタフェに泊まるとホテル全体がディズニー映画の「カーズ」がテーマになっているので、とても喜びます。

 

写真11

パリは洋菓子でも有名ですが、子供の好きな白いショートケーキがなかなか手に入りません。でもYAMAZAKIがありましたのでゲットできました(写真左、住所は6, Chausse de la Muetteです)。和食を作りたいときにも日本食料品店で買うと高いので、TANG freres (陳兄弟の意)という中華系スーパーが安くて便利。13区に大きい店舗がありますが、15区の小さめの店舗でも十分。それからオペラには日本のBOOK・OFFがあります。日本語の本の売買ができます!

 

そしてパリにはRestaurant Japonaisと書いてある日本食レストランがたくさんありますが、ほとんどが中国人と思われる方々がやっているお店で、本当の日本のメニューとはちょっと違います。でも、どこのお店でも寿司と海鮮丼と焼き鳥的なものは置いていて、本当の和食屋さんよりは安く、持ち帰り(テイクアウト、フランス語ではアンポーター)できるので結構使えます。

 

以上、今回はパリ子連れ滞在お役立ち情報でした。少しでも多くの方のお役に立てれば、おるいは暇つぶしの読み物にでもなれば幸いです。次回は、整形外科医向け情報をお送りしたいと思います。

木島泰明先生 留学便り8

「自由」の国、フランスの手術3-人工関節以外―

アンリ・モンドール病院では主に人工関節の手術を勉強させてもらいましたが、それ以外の手術についても主に写真を使ってご紹介させていただきます。写真の前にまずは簡単にコメントを。

最初は脊椎。ここアンリ・モンドール病院の整形外科では、頸も腰も半分以上が前方固定です。紹介患者さんばかりの大学病院だからかもしれませんが、まず前方から行けないかと考えるようです。普通の脊柱管狭窄のみの患者さんは少ないですが、その場合には開窓ではなく椎弓切除をしていました。棘突起をリュエル(フランス語では「ら・ぶーしゅ」と聞こえます)で切除して、ケリソン(フランスでもケリソンでいいみたいです)だけで行っています(エアトームは使っていませんでした)。

それから膝のHTO(フランス語ではOTV)。内反が強い症例が少ないこともあり、僕が見た限りは全例カルシウム・フォスフェイト・セラミックのスペーサーを使ったオープンウエッジのHTOでした。ACL再建はSTを使ったシングルバンドル再建、半月板を縫うときはスミス・アンド・ネフューのオールインサイドスーチャーデバイスを使用。ただ膝専門の先生だけはグラフトにBTBを使用していました。この辺に関しても、術者の裁量権が大きいところが「自由」の国ならではなのかもしれません。

転子部骨折には僕たちも見慣れているストライカーのガンマ3を使用。症例が多いこともありますが、整復もラグスクリューの位置などもそんなには頑張らない感じです。エンドキャップも使っていませんでした。カットアウト症例もありましたが、あっさりTHAにコンヴァージョンしていました。ちなみに日本の手術室でも良く見かける手袋サイズリストを見ますと、全員手袋サイズは7以上で、6.5以下の人はいませんでした!

それから、こちらでは出産もほとんど無痛で行われるらしく、痛いのは嫌いのようで踵骨骨折に対するウエスチウス法後のスタイマンピン抜釘も全麻で行われていました。エコー下ブロックは麻酔科医が術後にやっていますが硬膜外麻酔をやっているところは一度も見ませんでした。TKAなどでのカクテル療法もここではやられていません。

ここで、ちょっとだけフランス語講座-手術リスト編-Droit 右、Gauche 左、Autreは英語の”other”、Ablationは切除、Deposeは抜去、clou がネイル、Teteはヘッド、Epoleが肩です。ちなみに、手術の出来上がりの写真を見せられて「さすがです!」と言いたいときは、親指を立てて「ぱはふぇ!(パーフェクトの意)」でいいようです。

最後にHerinigou教授の研究で最も有名な大腿骨頭壊死に対する骨髄移植手技について。ここでは現在、大腿骨頭だけでなく肩や膝などあらゆる壊死に対して骨髄移植が行われています。日本でも一部の大学では行われているようですが、まだ普及はしていません。ここでの手技は簡単で、両腸骨より250mlの骨髄液を採取し、それをラボで濃縮して(戻ってくるまで1時間)、その間に透視下にトロッカーを留置し、ラボから届き次第トロッカーを通して注入するだけです。ただフランスの大腿骨頭壊死のほとんどの原因は鎌状赤血球症のようなので、日本の壊死に同様の手技が有効かどうかは不明なようです。

写真1↑人工椎間板。術者は患者さんの股の間に立ち、正面からアプローチ。
写真2↑5/Sの前方固定。こんなデバイスも初めて見ました。カメラも補助的に併用。
写真3↑前方に血管があるときは側方から止めるそうです。多椎間では後方。
写真4↑ACL再建のグラフトは主にST。デバイスは主にスミス&ネフュー。 写真5↑HTOはオープンウエッジ。UKAなどとの使い分けも「自由」な感じです。 写真6↑肩関節鏡手術。結構自在に動くし、肩の部分外れる手術台で便利(フランスベッド?)
LHBは切っていました。関節面側からかなりデブリし、断裂部へ向けて針を入れ、さらにデブリしてフットプリントを出したくらいでようやく関節包側へカメラを入れていました。そしてここでもクマイラズを使用していました!デバイスは主にマイテック。 写真7↑ほとんどの手術を全員がやっていましたが、足の手術と肩のスコピーだけは、外から専門家を呼んでいました。股関節鏡はここではやっていないということでした。 写真8↑大腿骨頭壊死に対する骨髄移植手術。decompression効果もあるでしょうか。写真9↑肩や膝の壊死にも骨髄移植。リバースショルダーやUKAも時々ありました。 写真10↑転子部骨折の牽引台。健側は牽引しません。もう一つの手術室が隣に見えます。
どの手術もそうですが、文献を読んでとかというよりも、職人気質的に伝統芸を教えるようにコムサ コムサ(こんなふうにこうやって)という風にインターンを指導しています。 写真11↑昼食はいつもエスプレッソにサンドイッチ(食パンでなくフランスパン)。 写真12↑最後は教授夫妻が我々家族を夕食に招待してくれました!