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木島泰明先生留学便り7

留学便り7

パリ第12大学アンリ・モンドール病院での2か月間の研修を終え、現在、パリ19区にあるClinique Maussins-NolletのAlexis Nogier先生について股関節鏡と人工股関節置換術(THA)の勉強をさせてもらっています。今は、外来も手術も股関節漬けの毎日で、先日は1日で8件!のTHAに入らせていただきましたが、ここでの研修のお話はもう少しまとまったらお伝えいたします。前回の留学便りでご心配を頂いてしまったようなので、リクエストにもお答えして、この辺で一度、2か月ほど前を振り返ってみたいと思います。(アンリ・モンドール病院での人工関節以外の手術については次回レポート致します。)

 

1月の某土曜日 

今日は雨。気温は高めで10度を超えるが、傘は折り畳みが1本のみなので、家で過ごすこととする。午後に近所のマルシェへ買い物。パリは意外と雨が多いらしい。ザーっと降るような本降りになることは稀だが、霧雨・小雨の日は多い。そしてパリジャンやパリジェンヌはほとんど傘はささない。

 

翌日曜日

今日は曇り。日本語が通じるという美容院design15を訪ねる。トラムでちょっと行ったところからさらにメトロで4駅くらい。予約だけして帰る。日本では皮膚科のクリニックでしかやっていないフォトフェイシャルもやっているらしい(妻がこれに注目!)。帰りは歩いて散策しながら帰宅。途中のマクドナルドで昼食。ナゲットに異物はない。サイドメニューに「ポテトを下さい」と言うと「こふきいも」みたいなのがついてくる。「フレンチフライ」と言わないといつものマックフライポテトはもらえない。マックにもトイレがあるが鍵がかかっており、レシートに書いてあるコードナンバーを押さないと開かない。つまり、ちゃんと商品を購入しないとトイレを使えない。ちなみに地下鉄の駅にもトイレはなく、トイレに行きたいときにはカフェに入るのが一般的らしい。アン・カフェ・シルヴプレと言って、コーヒー1杯頼んだうえで、ウ・ソン・レ・トワレットゥ?と言ってトイレの場所を聞く。

マックで昼食の後は、虎太郎の好きなパン・オ・ショコラや野菜などを道中仕入れながら帰宅。日曜日は近くのマルシェ(スーパー)も13時ころに閉まってしまう。

虎太郎は雪用のブーツを履いてきたが雪は降らないし重くて歩きにくそうなのでスニーカーを買うために再び出かける。またトラム。今度はトラム2番線に乗り、パリ郊外の新興地域であるラ・デファンスに向かう。トラム1本で行けるが間違えてトラム3番線に乗って一度引き返した。ラ・デファンスには駅直結の巨大ショッピングモールがある。まるでイオン。「ユニクロ」も「無印良品」も「トイザらス」も入っている。そこの「Go Sports」という店で虎太郎のスニーカーをゲットし、芳香剤も購入し帰宅(家のにおいが気になる)。今日はラディッシュのお味噌汁とオペラ地区の「京子食品」で仕入れた餃子の夕食!

 

月曜日

今日は全世界的に仕事はじめで近所の学校も急ににぎやかになったが、まだ移民局からのハガキが来ないので、僕の研修は来週から。そこで、この家に備え付けの布団を刷新するために思い切ってIKEAに向かう。ご存知のように大抵のIKEAは郊外にある上、布団を買って電車で帰ってくるのは大変、ということで、レンタカーをトライ。パリの街中で借りると市街地を走らなければならずに大変という噂を聞いたので、やや郊外のポルト・マイヨというところで借りる。つまり借りる場所までメトロを乗り継いで行く。安い車にしたらルノーの小さい車でガソリンでもディーゼルでもなくてペトロールという燃料で走るらしい。(ガソリン=ペトロールだと思っていたが、ノー・ガソリン、ノー・ディーゼル、ぺトロール!といってました。)iPhoneの地図アプリと妻のナビゲーションでなんとか市街地を通過(結局、市街地を走る羽目に)。欧州ではほとんどがマニュアル車らしく、急な予約だとマニュアル車しかなく、相当久しぶりにマニュアルを運転したので最初はかなり緊張。なんとかオルリー空港近くのIKEAに到着。しかしバックができない!シフトレバーの一番左の前にRと書いてあるがRに入らない。しょうがないので駐車場のフランス人に聞いたところ、シフトレバーの下の部分を持ち上げるとRに入るらしい。みんなは知っているのだろうか。でもIKEAでは安くてとてもいい布団とラグをゲットしました!帰りはポルト・マイヨのハイアット・リージェンシー・ホテルに連結するショッピングモールのスーパーで食材をゲット。日本から持ってきた煮込みうどんを使って夕食。どうしても和食がいい。

 

火曜日

今日は14時に虎太郎の幼稚園の面接。さくら組に配属されるらしい。とても優しそうな園長と担任の先生でとても安心。水曜日は幼稚園がお休みなので、あさってから登園となる。幼稚園の年少クラスでは、火曜日はエッフェル塔近くの公園、木曜日は午後にアメリカ広場というところに遊びに行くらしい。狭いアパルトマンを出て思いっきり遊べるといいね。

帰りにエッフェル塔の真下まで行ってメリーゴーランド。今日も曇りでとても寒い。

 

水曜日

今日は少しゆっくり目に起床し、先日予約した美容院に髪を切りに。日本語が通じると安心。これですっきりし、来週からの少し遅れ目の仕事始めに行ける。妻と息子もついてきてパリ在住日本人美容師から情報収集。

午後は15区の日本食料品店「かなえ」に。虎太郎の好きなハッピーターンをゲット。今日の夕飯はトン汁とから揚げ。また和食。

アパルトマンに帰るとテロ報道を、みなさんからのご心配・安否確認メールで知りました。みなさん、ご心配下さりありがとうございました。

 

 

木曜日

今日は虎太郎が幼稚園に初登園する日。結局、僕の初出勤より早かった。おかげで虎太郎を預けたあとは、はじめて夫婦二人だけでシャンゼリゼ通りをブラブラできました。とは言っても、10時までは開いていない店がほとんど。10時過ぎたところで雨が降りそうなのでZARA・homeというお店で傘を探すも空振り。トイレに行きたくなったので近くのGeorge Vというカフェでランチ。トイレはきれいだし、朝食セットのトーストもクロワッサンもホットチョコレートもおいしいし、とてもグッド。シャンゼリゼ通りのルイ・ヴィトンの向かいあたりのカフェです。結局、僕たちのパリの行きつけのカフェはここに決まりました。そのあと妻の美容院を経て、虎太郎のお迎えに。

どうやら今日もパリで銃撃戦があった模様。昨日の週刊誌社を狙った犯人もまだ捕まっていないらしい。

 

金曜日

今日は個人的には我々夫婦の10周年記念日。虎太郎が幼稚園に行きたくないと泣きながらも幼稚園の担任に連れていかれるのを見た後にもかかわらず(その後、1週間ほどで友達ができた虎太郎は幼稚園に喜んでいくようになりました)、ルーブル美術館の中にあるカフェ・リシュリューというカフェのビールで乾杯。10年前は10年後のパリ滞在などは夢にも思っていませんでした。有名な絵だけを足早にチェックした後は、歩いてオペラ地区の「京子食品」で再び日本米など日本食材をゲット。虎太郎を引き取った後、連日のテロ報道でびくびくしながら歩いていたら、虎太郎の幼稚園の最寄り駅に警察が大勢いる!エッフェル塔に近く重点警戒していた模様。フランスは喪に服しており、エッフェル塔の夜の電気は消され、ルーブルにも半旗が掲げられている。

夜にはようやく最初の事件の実行犯も次の銃撃戦の犯人も捕まったとの報道を目にしたが、今後も報復テロなどに注意しなければならないらしい。

 

土曜日

今日は土曜日。幼稚園もお休み。昨日、ルーブル美術館でパリ・ミュージアム・パスを買ったので(これは2days, 4days, 6daysの3種あり、最初に使った日からその期間はパリ周辺の60もの美術館や歴史的建造物に入れる。これがあればチケット売り場の長蛇の列に並ばずに済むので、パリ旅行前にはぜひ日本にいるうちにネットで購入するのをお勧めします)、今日は虎太郎を連れて、虎太郎が行きたがっていた凱旋門の上に登ることにする。ちなみにほとんどの施設で18歳未満は無料なので虎太郎はフリーパス。ちなみに18歳付近の人はパスポートの提示を求められるらしいが、虎太郎はどう見ても18歳未満なのでパスポートを見せるようにとも言われない。ただし連日のテロの影響か、あちこちの店に入るにも手荷物検査がある(ルーブル美術館はいつも検査があるらしい)。

ちなみにせっかくなのでもう一度、今日もルーブル。ルーブル美術館内にもフードコートがあり、今日の昼食はそこのポテトとチキンの煮込みとパン・オ・ショコラとクロワッサンとアップルパイ。ルーブル美術館の手荷物検査に並ぶなら外のピラミッド型の出入り口よりも地下のショッピング街からの入り口の方が快適です。ダヴィンチ・コードで有名になった逆さピラミッドのところです。

今日は凱旋門を登った後に前回とは逆コースでシャンゼリゼ通りを踏破し、コンコルド広場の観覧車に乗る。日本の観覧車のように1回1周ではなく、メリーゴーランドのように、ある程度の人が乗ったらグルグル回って、また入れ替え、みたいな感じでした。18時過ぎだったので夜景がきれいでしたが、今日は雨。特にその時間、パリにはめずらしい本降りでちょっと大変。でも、初めてライトアップされた凱旋門とエッフェル塔が見られました。

 

そして、研修開始前日

今日は引き続きのパリ・ミュージアム・パス利用をしようとオルセー美術館に行くことに。オルセーはアパルトマンの最寄り駅からメトロ1本で行ける。降りたところで例によってパン・オ・ショコラを買い食いしながらオルセーに。昨日の凱旋門と言い、今日のオルセーと言い、妙にすいている。いつもは長蛇の列らしいが、今はテロの影響で人がかなり少ないらしい。オルセーはマネやモネやルノワールなど教科書やテレビでよく見る絵をミーハー感覚で一回り。今日は久しぶりの快晴で気持ちがいい。フランス各地ではテロに反対するデモをしている。

さあ、いよいよ明日が研修初日だ。緊張する。

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↑幼稚園近くのお気に入りのブーランジュリー(パン屋)

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↑クリスマスから年始にかけてはシャンゼリゼ通りに屋台出店

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↑パリのメトロとバスとトラムは写真付き定期券(ナヴィゴ)で乗り放題。

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凱旋門登頂へ↑

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↑レンタカー屋さんは英語を話せます。

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↑町中いろんなところにメリーゴーランド。

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↑お正月が終わるとシャンゼリゼの人通りもまばら。

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↑テロ当時は半旗が掲げられ、幼稚園はいま(3月)も室内学習のみ。

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↑ルーブル美術館は写真OK(上は「カナの婚礼」)

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↑週に2回のビオ・マルシェ。↑カフェ・ジョルジュ・サンクのランチ。

笑顔美人賞(雄勝中央病院 長幡樹)

本当に自分のことですか?初めにこの話を伝えていただいたときは耳を疑いました。今回雄勝中央病院内で月に一人選出される笑顔美人賞という賞をいただきました。

いろいろな部署の方々から「おめでとう!」とお祝いの声をいただくと同時に、

「美人?…男性だけども…」

「医師も選ばれるんだね」

「当直明けで今日まったくあの人笑顔が見えないわ…」など疑問符の残る声もちらほら。

当の自分が一番驚いていました。そもそも医師が選ばれることもほとんどないそうです。中でも男性となると前回いつだったろうか…。と事務方も思い出せないくらい前になるようでした。本当に光栄な限りです。

せっかくいただいたのですから、大事に、誇りにしようと思います。

 

僕は 美人で、 笑顔を絶やしません。

 

知っている方々も多いと思いますが、2014年4月から中央病院に異動となり、わすか半年で左足関節開放脱臼骨折で途中リタイアという不名誉な目立ちかたをして周囲の先生、看護師、医療スタッフに迷惑をかけてしまいました。

 

駅伝部の一大イベントの一つ、全学駅伝にも不参加。

 

2014年は長幡厄年だからすぐにお祓いにいってこい。そんな心配までさせていました。その間に尻拭いをしてくださった先生方、本当にありがとうございます。この場をお借りしてお礼を言わせていただきます。

 

そんな僕ができることを探したときに笑顔であいさつ、笑顔で応援、笑顔で元気に仕事。というのがまず頭に浮かびできる限り笑っていられるように心がけていました。みなさんが普段意識せずにしていることなのかもしれませんが、改めて意識して行おうと思いました。

 

それを見てくれる方々がいて、さらに賞をいただける。こんなに幸せなことはないと思いました。

 

笑顔美人賞の賞に恥じないようにこれからも誰よりも笑顔で元気に患者さんに接して外来、手術、駅伝を頑張りたいと思います。

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獨協医科大学越谷病院研修報告(柴田暢介)

今回島田洋一教授, 野坂光司先生のご高配により, 創外固定と小児整形外科の勉強のため獨協医科大学越谷病院の大関覚教授のもとへ2週間の研修に行かせていただきました.

今までもAIMGの先生方は野坂先生を始めとして皆お世話になっていて, 私で7人目になります.

外来では大関覚教授と, 小児整形外科が専門の垣花昌隆先生の見学をさせていただきました.

足部・足関節の疾患を中心に, 股関節の骨切りからACL再建の患者まで, 幅広い患者さんの診察を見学することができました, その中で今まで知らなかった所見の取り方などを直接教えていただくことができました.

手術は大関教授, 垣花先生と, 救命センターの杉本一郎講師の助手に入らせていただきました(下肢グループの栃木祐樹准教授の助手にも1度入らせていただきました).

研修初日の骨盤骨折のrevisionの手術から始まり, 下腿の創外固定を用いた変形矯正, 足部の骨切りなど多岐の分野に渡り助手に入らせていただきました.

また飲み会の席にも何度かお誘いいただきました. 平日にもかかわらずかなりの勢いで飲まれる先生方, スタッフの方々に圧倒されつつも, 負けじと飲んでいたら酔いすぎて財布を失くしかけてしまうなんてこともありました(ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした).

研修の最後には六本木で創外固定学会があり, 島田教授始め秋田の先生方・スタッフの方々と合流しました. 宴会では大関教授や杉本講師にもご参加していただき, 非常に楽しい会となりました.

今回の研修では多くのことを学び, 同期や若い先生方とも交流できたくさんの刺激を受けることができました, 今のこの気持ちを忘れることなく, 日々の診療・研究に取り組んで行きたいと思います.

この様な機会を与えていただいた島田教授, 野坂先生に改めて感謝申し上げます.

また大関教授, 杉本講師, 垣花先生始め, 獨協医科大学越谷病院の先生方・スタッフの方々におかれましては, ご多忙中にも関わらず暖かく迎えていただきまして誠にありがとうございました.

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創外固定学会での宴会にて. 大関教授(左)と杉本講師(右). 中央は秋大看護師の金さん

柴田先生

別の飲み会にて. 垣花先生(左)と私

木島泰明先生留学便り6

留学便り6-パリのアパルトマン-

もういやだ、虎太郎を連れて日本に帰る、と妻が1日おきにしか言わなくなったのは、彼女の2月5日の誕生日を過ぎたあたりからだ。そんなにここから逃げたいと思わせる原因の多くはこのアパルトマンだろう。

パリの物価は高い、パリでリーズナブルなアパルトマンを探すのは至難のことだ、と聞いていたし、そうなのだろう思っていた。

我々の家は(と言うといつも妻は、あれは家ではなくただの部屋だ、と言う)、パリ15区のポルト・ドゥ・ヴェルサイユにある6畳一間ロフト付きのアパルトマンである。つまりリビングもダイニングもキッチンも兼ねた6畳程度の部屋に、展開するとダブルベッドになるソファが1つと40cm×60cm程度の小さいテーブルが2つに椅子が4つ(うち1つは3週間で壊れた!)がある家具付きだ。その他にいわゆるユニットバス。それとシングルベッド分のロフト(梯子で登る。天井までの高さ80cm)もある。そして靴で生活するために作られているため玄関はなく、だけど玄関のドアは内開きなのでドアを開けたときにドアが通るスペースが必要であるため、そのスペースで我々は靴を脱ぎ、そこに靴を置く(しかない)。ちなみにユニットバスのドアは外開きで、ユニットバスのドアが開くスペースも、その靴を置いているスペースというわけだ。つまり玄関ドアを開けるたびに靴は奥へ押しやられ、ユニットバスのドアを開けても押しやられ、玄関のドアとユニットバスのドアは同時に開ければぶつかるし、靴の脱ぎ履きも1人ずつしかできず、3人で家に帰ってきても、まず1人が入り、ドアを閉め、靴を脱いだら、次の人がドアを開けて中に入ってドアを閉めて靴を脱ぎ・・・を繰り返さなければならない。

当然ソファを展開すればその6畳ほどのスペースはソファベッドで占領され、そこに妻と虎太郎が寝て、ロフトに僕が寝ると荷物を置く場所もない。仕方ないので荷物はスーツケースやダンボールに入れたままテーブルの下に置くことになる。それでも置けない荷物はロフトの上の布団の上だ。

妻が我慢できないのはその部屋に日本円にして月に約25万程度支払っていること。虎太郎の幼稚園は日本人学校なので、ママ友も日本人。子供が幼稚園に行っている間にママ友同士でランチを食べたり(僕はまだフランスでフレンチを食べていないが、妻はフレンチもイタリアンも食べたらしい)、子供を連れてお宅を訪問し合ったりしている。この時に妻が見てきたというママ友のアパルトマンはみんな広く、特に大きいところは秋田の我々の家よりも広い!のにもかかわらず、家賃はうちより安いのだという(しかもその家賃のほとんどは会社が払ってくれているらしい)。日本企業のパリ支店に勤めている方の奥様達とのことだ。

なぜ我々のアパルトマンが高いかといえば、日本の業者さんがパリに短期滞在する人のために1日当たり何ユーロという単位で又貸ししているものだからである。フランスの不動産屋さんと直接交渉し、直接契約すればもっと安くもっと快適でエッフェル塔も見える(ママ友たちのアパルトマンからはしっかり見えるらしい!)ところが借りられるということが判明した(これが判明してから妻はお怒り続き)。ではどうすればよかったか。日本から借りられる場所をまず1か月くらい借りておいて(ホテルでもいい)、その間にフランスで住居を探すという方法をみなさんは取っているようです。しかし、ここでビザの問題が出てくる。我々は就労しないために「ビジタービザ」を所得して渡仏している。しかしビジタービザの申請には渡仏後3か月間の住居の契約がすでになされている証明書が必要であり、さらに渡仏後それを移民局に届け、移民局からその住所に召喚状が届くのをしっかり受け取る必要がある。そして、その召喚状の通りに移民局に出向き、健康診断を受けて、やっと晴れて滞在許可証ゲットとなる(これもすったもんだありましたが、なんとか2月27日にゲット)。つまり、少なくとも3か月分の住居の契約は日本でやっておく必要があったのだ。そして僕達のパリ滞在は4か月なので、4か月分契約してしまっており、すでに入居してしまっている場合には、早めに退去してもお金は一銭も戻らない(ということもこちらに来て判明)。仕方なくそのまま修行のような生活を送っている次第です。

(ビザの問題の解決策が実は1つありました。ビザは180日間に90日以上滞在する時のみ必要なので、90日滞在し、一度帰国し、90日以上日本に滞在した後にフランスに再入国すれば、ビザなしでまた90日間フランスに滞在可能です。そのように3か月サイクルの行ったり来たりで1年間のフランス留学をされた整形外科医も実際にいらっしゃるそうです。ちなみにヨーロッパ各国を回っている駐在員さんの話では、どこも事務手続きがすごくイイカゲンで遅いのでビザを取るのが大変だけどドイツだけはしっかりしているとのことでした。フランスも就労ビザや研究者ビザが取れれば入国後の手続きはスムーズで引っ越しも容易のようですが。)

ところで、ヨーロッパの多くは水道から硬水が出ます。お湯を沸かせばポットや鍋にびっしり石灰(こちらではこれをカルキと言います)が沈着します。それを落とすには酢を沸かす必要があります。でもいちいち酢を沸かしてカルキを落とすのが面倒なのでミネラルウォーター(エヴィアン)を使ってみたのですが、それでもカルキが沈着します。よく見たらエヴィアンも硬水でした(^^;)。唯一売っている軟水のミネラルウォーターのヴォルヴィック(Volvic)で解決しました。洗濯機もカルキでつまらないようにアンチカルキ剤を入れて回します。問題はシャワーでした。硬水で洗うと、髪はガサガサ、肌もボソボソで痒くなるのです。だからこちらの人は週に2回程度しかシャワーしないという話もあります。しかし、これを解決する特殊なシャワーヘッドがありました!フランスでは売ってなくて結局イオナックという会社からネット通販で買い、海外搬送してもらいました。こんな風にして少しずつ少しずつ、適応を図っています。

隣近所の音が聞こえるのも、古い建築物を利用しているパリのアパルトマンの特徴だそうです(もちろん立派なアパルトマンはそんなことないようですが)。うちの虎太郎もとても騒がしくご近所にご迷惑をおかけしていると思いますが、隣の女子のあの時のあの声も相当でした(虎太郎も苦笑いです(-_-;))。おかげで週末はできるだけ家族で外出し、あちこちパリ観光を楽しもうということにしております。できれば外泊を、ということで、一度ディズニーランド・パリにも行ってきました。それらのお話はまたの機会に致しますので、楽しみにしていてください。

パリも3月に入り、ようやく寒さも一段落したようです。4月には多少の追加料金で3週間くらいだけですが、もう少し広いアパルトマンにも移れそうです。ようやく妻の、もう帰る!宣言も週に1-2回に減ってきました。考えてみれば、こんなに多くの時間を家族でこんなに近接して過ごすこともないだろうと思うので、もう少しこの修行を楽しみたいと思います。

(追伸:このアパルトマンの数少ない自慢の1つは、知る人ぞ知るあの「ラ・リューシュ」のすぐそばだということです-歩いて5分!-。きっと妻の好きなシャガールもこのあたりを歩いていたことでしょう。)写真1            ↑どんなに狭くてもトミカタウンを作る虎太郎

写真2            ↑暖簾を買ったり、張り紙をして少しでも華やかに

写真3             ↑カーペットや枕カバーも新調

写真4             ↑から揚げパーティ(テーブルぎりぎり)

写真5             ↑引き出しのある収納スペースがほしい

写真6             ↑玄関がないのが痛い!

写真7            ↑ソファーをベッドにするといっぱいいっぱい

写真8            ↑ロフト部分はこんな感じ

写真9            ↑どんなに狭くてもトミカタウンを作る虎太郎

2015 FIS Freestyle ski World Cup in Tazawako Akitaに参加して(齊藤英知)

 

2015.2.28-3.1に秋田県仙北市田沢湖スキー場で開催された、モーグルのワールドカップに医療班として参加して参りました。

選手の公式トレーニングが2.26から行われましたので、それに合わせて田沢湖入りしました。

大会の役員にご挨拶と顔合わせに伺った後で、資機材の確認をして、モーグル会場である黒森山ゲレンデに向かいました。アクシデントはそこで起こりました。1日目の公式トレーニング中、第2エアーのランディング付近で、韓国の選手が、着地の際、自分の膝を下顎に強打して、口から大量の出血をしました。自分はすぐに駆けつけ、下顎の口腔粘膜が断裂して、下顎に圧痛と腫脹を確認しましたので、下顎骨折を強く疑い、スキーパトロールと消防と連携し、ドクターヘリ搬送を要請と同時に、搬送先である秋田大学附属病院の救急部の中永先生に収容をお願いしました。要請からヘリ到着まで25分、選手のヘリ収容から大学病院到着まで20分でした。このような国際大会での医療スタッフに必要なことは医学の知識や技術はもちろんですが、英語力を含めたコミニュケーション力も非常に大事であるということを感じました。

余談ですが、韓国チームの監督が、あのトビードーソンでした。彼は、Korean Americanであり、自分のモーグル現役時代のスーパースターです。(写真)

搬送事案は、もう1件ありました。その事案は、ノーザンバイソンズTDである藤井昌先生に対応してもらいました。女子カナダチームのエース選手が第1エアーの着地で、右手を強くついてしまい、コース端でうずくまってました。肩でも脱臼したかなという目で見てましたが、数分後に滑って降りてきたので、大丈夫だったのかと思っていました。その後、しばらくしてからカナダチームドクターに連れられて、手関節痛を主訴に救護所を訪れたので、ここぞとばかりに藤井先生に田沢湖病院まで同行してもらうことにしました。(後日、日本人通訳の方ともお話しましたが、彼らはmedical termsについての知識はそれほどはなく、医学英語に堪能な藤井先生を同行させてよかったと考えております。)ちなみに藤井先生は、病院から帰ってくるなり、researchということばがどうしても通じなかったといっていました。(アクセントの位置ですな)。幸いこの選手には骨傷なく、大会ではシングルで2位となってました。藤井先生の優しいサポートが好成績につながったのではとも考えられます(写真)。

2.27の夕方には、大会レセプションがあり、我々も、医療スタッフという立場を利用して、SAJの鈴木会長や上村愛子さん、大会役員の方々や選手達と交流して楽しむことができました(写真)。温泉では、FISの上の役職の方々と露天風呂でお話しして、我々の対応の迅速さがかなり高評価をうけていることを知りました。

2.28-3.1の大会では、蝦名寿仁先生を隊長とする市立角館総合病院DMAT隊も駆けつけていただきました。また、3.1には島田教授とご家族もお越し頂いて、エキサイティングな滑りを観戦頂きました(写真)。幸いそれ以上のアクシデントは発生せず、みなさまのご存知の通り、成功裏に収めることができた大会となりました。

本大会は、本年より向こう3年間、開催される予定です。来年は、さらに我々の医療チームをより良いチームとして再編し、医療サポートをしていきたいと考えております。その節は、同門の諸先生がたのご理解とご協力をお願いしたいと考えております。

 

齊藤英知2015-02-26 10.17.23 2015-02-26 12.47.19 2015-02-27 15.11.01 2015-02-27 19.06.21 2015-02-28 18.30.17 2015-03-02 13.38.31

秋田県骨粗鬆症PTH治療記念講演会(河野 哲也)

2015年2月28日,秋田ビューホテルにて「秋田県骨粗鬆症PTH治療記念講演会」が開催されました.前日のセミナーに引き続き,Osteoporosis Week 第二弾となります.

重症骨粗鬆症や骨折治療への併用など使用する機会が増えているPTHも,最近の外来では卒業する患者も増えてきました.PTHを含め骨粗鬆症治療について,知識を再確認する有意義な会となりました.

特別講演Ⅰでは,日頃からご指導いただいている宮腰尚久准教授より, 「脆弱性・難治性骨折を有する骨粗鬆症患者の薬物療法」と題してご講演いただきました.これまで使用されていたBP製剤やSERM,PTHに加え,抗RANKLモノクローナル抗体製剤であるデノスマブ,静注BP製剤など新しい治療薬について,それぞれの治療薬の使い分けを教えていただきました.

また.仙骨脆弱性骨折,高齢者四肢骨折,非定型大腿骨骨折に対するPTHの有効性についてもご講演いただきました.なかでも,非定型大腿骨骨折はBP製剤との関連性が注目されており,drug holiayや,手術適応についてなど,最新の知見を教えていただきました.

特別講演Ⅱでは,山梨大学大学院総合研究部整形外科学講座教授である波呂浩孝先生より,「骨粗鬆症脊椎疾患の診断と治療選択」と題してご講演いただきました.これまで,新鮮脊椎圧迫骨折には,多くの患者さんに対してコルセットで治療していましたが,体幹ギプスの重要性を再認識しました.また,脊椎変性後側弯症患者に対する変形矯正術の有効性についても勉強になり,実際の術前後での歩容の変化は驚きました.

現在では,多くの患者さんに対して骨粗鬆症治療が行われてきています.しかし,まだまだ未治療骨粗鬆症患者さんが多くいるのが現状です.骨折が起きてから治療を開始するのではなく.骨折予防を目標に,積極的に治療を行っていきたいと思います.

木島泰明先生留学便り5

「自由」の国、フランスの手術2と題して今回は、ここフランスのHôpital Henri Mondorにおける人工股関節置換術Total Hip Arthroplasty (THA) についてご紹介致します。

人工股関節置換術 Prothese Total de Hanche (PTH)

臨床配属みたいな学生さんは、とても熱心なのか義務なのか、いれば必ず手洗いをして手術に入るが、13時ころからは講義があるらしいので、13時以降の手術や、朝の用事で学生さんがいない時には手洗いして手術に入らせてもらっている。

手洗いは水道水とイソジンスクラブで1回洗った後、不潔の紙タオルで拭いて、アルコールを念入りに刷り込むスタイル。指輪を付けたままの人もいる。次にガウンを羽織り、手袋を1枚付けてからガウンの帯を締める。そしてもう1枚、手袋。

さて、ここでのTHAのアプローチはなんと今はposterolateralでした。パリで1番大きな整形外科施設であるコシャン病院はtrans-trochanteric approachだそうで、そこがライバルなので、前方系やHardinge (ハーディンジュと言っていました)などもやっていたが今はこれだそうです。教育がメインの施設のせいもあるかもしれません。それもあって、皮切長にもこだわっていませんし、教わりながらインターンの先生が執刀していて、手術時間は2時間くらいです。ちなみに僕がこのあと回らせていただくもう2施設は前方系のアプローチのはずですし、プライベートクリニックなので、また全然違ったレポートができると思いますので、そちらも楽しみにしていて下さい。(あとでHernigou教授に、アプローチについてお伺いしたところ、フランスでは7割はposterolateral、2割がanterior、1割がtrans-trochantericとおっしゃっていました。)

体位は側臥位で、いわゆる骨盤支持器は使わず、普通の体側支持器で仙骨と恥骨を挟むようにして固定するのみです。通常は両下肢の間に枕は挟まないので、反対側の下肢も圧布の下に触れるため、両下肢を揃えるようにして両側の膝や踵を触って脚長差を確認しています。やや外転位を保持したいときには滅菌した枕を使っています。実際には滅菌した袋に不潔のタオルを入れているのでやや怪しい感じですが、秋田で使っている大枕をそのまま滅菌できるならそれもありかなと少し思いました。足袋にはストッキネットを使っていますが下腿以遠はそれを二重にしています。ちなみに3時間近いような手術以外はフォーレはいれないようです。

外旋筋群は切離して最後はそれなりに再建(縫合)していますが、術者によっては関節包もなるべく縫合するという先生もいるし、切除している先生もいます。関節包を大事にしている先生はproprioceptorが関節包に存在するから重要視しているのだ、とおっしゃっていました。

機種はTKAと同じCERAVERというフランスメーカーのものを全員が使用。ですが、臼蓋側のリーマーだけはまたもやストライカーを使用していました。これはパワーツールをストライカーで統一しているせいのようですが、つまりはストライカーのツールが使いやすいからのようです。

カップはPoignard教授とヒップ専門で小西先生似のDelambre Jérôme先生はセメント、それ以外はセメントレスがメインだと思われました。セメントレスの時は最終リーミングサイズと本物のカップサイズは同サイズと話していましたが、接触面の構造のためか、楕円カップでなく半球カップにもかかわらず、ほとんどがプレスフィットするためスクリュー固定する例は稀でした。寛骨臼形成不全症例がほとんどないのも一因と思われます(約5%)。

でも、どの先生もリヴィジョンの時はあまり迷わずセメントカップを使っています。臼蓋側セメントのアンカーホールは鋭匙で6-8mmくらいの穴を前方、上方、後方に1か所ずつ、合計3か所だけ穿けると決めているようです。セメントはTKAと同じものでワーキングタイムが長いので、やはりカウントせずにゆっくりカップ設置。体重をかけて圧入するというより、セメントカップでもインパクターをガンガンハンマーで叩きます(ハンマーはフランス語で「まとー」です。マトー・シルヴプレで看護師さんが渡してくれますが、本当は冠詞を付けてル・マトゥだそうです。)臼蓋側の展開には細めのピンレトラクターをたくさん打ち混んでいます(これはフランス語で「ぴんち」のようです。ちなみにガーゼはデ・コンプレイス・シルヴプレで何枚かくれます。”デ”は複数を表わす冠詞だからですね。もう1枚欲しいときは”あんこーふ”-encore-です。そうです、日本語のアンコールはフランス語からきているようです。)

カップの設置位置に関しては横靭帯を重視している先生が多いようで、そこにハサミ(れ・しぞー、あるいは、マイヨ―・ロン「長いメイヨ―」)を入れてぐっと開いて剥離したところにホウマン鈎を入れてからリーミングという先生が多いです。ほとんどがプライマリーOAのような症例ですが、1例だけ寛骨臼形成不全のキアリ骨盤骨切り術後OAという症例だけが僕が経験したdysplasiaのケースでした。この症例には手洗いして入らせていただいた(―手洗いしていいですか―ジュ・プ・スクラビン?で通じました。スクラビングは英語ですが..)のですが、ブロック骨移植にセメントカップ固定していました。(全部で50例近くのTHAを見せてもらいましたが、massiveの骨移植はこの1例のみ、morselizedの骨移植も1例だけ、KTプレートの脇にしているのを見たのみです。) これだけプライマリーOAがあるとやはりそのうちの相当数はいわゆるFAI由来かもと思われる画像所見でした。

ステムは気まぐれに?若いから?1例のみセメントレスを使っているのを目撃しましたが、その1例以外は全員がセメントステムを使用していました。スターターリーマーは使わず、鋭匙で髄腔内の海綿骨を掻き出すようにして髄腔を確認した後は通常通りブローチング。ギチギチに入るまでサイズアップしたらトライアルせずに(トライアルする先生もいます)セメントプラグもブローチを使って押し入れてからセメンティングです。セメントガンは使わず、吸引チュ-ブを髄腔の奥に入れて、50㏄シリンジでセメントを注入。1回だけの注入で足りるようです。

ステムはブローチとほぼ同じ大きさなのですごく薄いセメントマントルです(いわゆるフレンチ・パラドクスっていうやつですよね)。ポリッシュですがカラー付きのステムなので、どこで荷重を受けていると思いますか?でもフランスではずっとこうやってきて、長期の成績も良いとのこと。ちなみにステムもセメントですがガンガン叩きます。そのあとにトライアルをやってネックの長さを決定してヘッドを付けています。このトライアルもしないという先生もいます。トライアルも70度くらい屈曲位で30度くらい内旋しても脱臼しなければまあ大丈夫でしょうという感覚のようです。ちなみにここで使っているCERAVERのセメントカップには内部に可動性のOリングみたいなものがついていてそれも脱臼の抑制に有利みたいな話だったのですが、どういうメカニズムなのかもう一つ理解できずにいます。結構前からのシステムのようです。ちなみに術前プランニング用のCTは撮っていないようですが、カップトライアル設置後など、少しでも不安要素があれば術中写真は結構ためらわずに撮っています。

ということで摺動面はセメント派はCoP、ハイブリッド派はCoCです。ヘッドサイズは基本32mmのようです。フランスといえばdual mobility cupでも有名ですが、ここでは現在は、ほとんど使われていません。ある先生は、dualにしても外れるときは外れるし、誰かのデータでは脱臼率が変わらなかったみたいだよ、こんなトラブルもあるしね(ちょうどdualのアウターカップとインナーカップの間で外れた症例のリヴィジョンの手術の時でした)、だから今、うちでは積極的には使っていない、とのことでした。あとでHernigou教授に個人的に伺ったところでは、高齢者にはとても良いと思う、でも若年者にはちょっとね、ということでした。ちなみにフランスでは高齢者でもひどい骨盤後傾の患者さんは見かけません。脊椎の変形も日本のような全後弯になることはあまりなく、胸椎だけ後弯する円背や、胸椎後弯・腰椎前弯の凹円背がほとんどのためのようです。

誤解を恐れずに言えば、ここの先生たちはあまり脱臼を、もしくはリヴィジョンを我々ほどには“恐れていない”のかもしれません(リヴィジョン-フランス語ではReprise-もしょっちゅうやっているし!?)。もしかしたら、数多くやっている先生あるいは施設は日本でもそうなのかもしれません。ただフランスは結構、患者さんにも受容されやすいのかもしれません。おそらくアメリカのような訴訟社会でもなく、日本ほどにもインフォームド・コンセントも厳しくなく、合併症があってもそういうものかなとみんなが感じちゃう土壌があるのかもしれません。役場の事務手続きが全然進まなかったり、手続きの方法までが担当者によって言うことが全然違ったりするのもフランスなら当然らしく、みんなそれをしょうがないことだと受け入れているらしいのですが、それと関係があるかどうかはもちろん不明ですが。

ちなみにリヴィジョン時の感染の有無の確認は血液検査(主にCRP)とリヴィジョン手術時の関節液などの組織培養くらいのようです。それとリヴィジョンの手術で驚いたのは、前に入っていたセメントやセメントプラグを除去するのに、外傷に使うストライカーの髄内釘用のドリルやガイドワイヤーや髄腔リーマーを使用していることです。ストライカーが許してくれるのであれば使えるかもと思いました。

(追伸:人工骨頭症例は結局1例も見ませんでした。頸部骨折症例には全例THAをやっておりました。寛骨臼骨折も保存治療がメインで1-2年後にOAの診断でTHAという症例が多いようです。)

写真1

 

 

 

 

 

 

(写真1) ↑体重かけたリーミング!

写真2

 

 

 

 

 

 

(写真2)↑ステムも緑でおしゃれ。

写真3

 

 

 

 

 

 

(写真3)↑骨頭は軟骨をボーンソーで除去して移植。   ↑ジェローム小西先生!?

写真4写真6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真5

 

 

 

 

 

 

(写真4)(写真5)(写真6)↑商品化された同種骨

写真7

 

 

 

 

 

 

(写真7)↑KTプレートはこのように把持していました。

第6回日本ニューロリハビリテーション学会・The 4th Japan-Korea NeuroRehabilitation Conference報告(柴田暢介)

2015年2月21日と22日の2日間に渡って, 秋田ビューホテルにおいて第6回日本ニューロリハビリテーション学会及びThe 4th Japan-Korea NeuroRehabilitation Conferenceが開催されました. 今回は秋田開催ということで, 医局員・スタッフ一同一丸となり準備にあたりました.

初日の日本ニューロリハビリテーション学会の特別講演1では, 藤田保健衛生大学医学部リハビリテーション医学Ⅰ講座准教授の加賀谷斉先生が, 「摂食嚥下の生理と治療成績」の演題でご講演をしていただきました. 豊富な動画で詳細に解説していただき, 普段嚥下にあまり関わらない整形外科医としては新鮮なご講演でした. なかでも, 選択的に嚥下に関わる筋(舌骨上筋など)を電気刺激して嚥下機能を改善させるという治療は, このようなFESもあるのかと大きな感銘を受けました.

加賀谷斉先生

特別講演2はUniversity of Maryland School of MedicineのProf. Keith McBrideに, “Contemporary Functional Electrical Stimulation in Persons with Stroke” の演題でご講演をいただきました. FESの歴史から学会当日(!)にFDAに認可された新しい機器の紹介まで, 多岐に渡る話をしていただきました.

Prof. Keith McBride;
ランチョンセミナーでは, 札幌医科大学附属病院神経再生医療科教授の本望修先生より「脳梗塞と脊髄損傷の再生医療-医師主導治験による実用化-」の演題でご講演をしていただきました. これは脳梗塞や脊損患者に対して, 腸骨から採取した骨髄から間葉系幹細胞を分離して培養し, 静脈投与することで麻痺が改善していくというものでした. 紹介された症例では投与後わずか3日目より上肢機能の劇的な改善を認めていて, 非常に興味深い内容でした.
本望修先生
シンポジウムでは, 東北大学大学院医学系研究科肢体不自由学分野准教授の田中尚文先生に「骨格筋パルス磁気刺激装置」の演題で, 骨格筋用の安価でコンパクトな磁気刺激装置を紹介していただきました. 当科でも奥寺良弥先生が末梢への磁気刺激を研究されていて, 今後研究を発展させていく際にこの機械があればベッドサイドで磁気刺激が行えるので非常に有用と思いました. また, 国際医療福祉大学病院リハビリテーション科部長の太田喜久夫先生からは, 「同名半盲に対する反復視覚刺激の効果-ニューロモデュレーションの可能性-」の演題で, コンピューターで視野を計測し, その辺縁に反復視覚刺激を加えることで, 視野が広がる症例があったことをご報告されていました. 滋賀県立成人病センターリハビリテーションセンター医療部長の中馬孝容先生からは「脳卒中に対するボツリヌス療法」の演題で, ボツリヌス療法をする際の注意点について詳細なご講演をしていただきました. 解剖学的な知識, 正確な注射はもちろんのこと, 患者へ注射の効果を十分に説明し, 理解してもらうことがいい結果につながるとお話しされていました. 最後に, 藤田保健衛生大学医学部リハビリテーション医学Ⅰ講座助教の平野哲先生からは,「脳卒中片麻痺患者の歩行練習における歩行練習アシストの有用性」の演題で, 歩行練習アシストロボット, Gait Exercise Assist Robot (GEAR)を紹介されていました. 今までは脳卒中片麻痺患者のトレッドミルを用いた歩行訓練は主に長下肢装具を装用していました. しかしこのロボットでは膝関節部にモータを搭載していて,膝伸展や振り出しの補助をすることができます. さらに麻痺肢の荷重を計測する圧センサー, 関節のトルクセンサー, 患者自身が歩きながら歩容を確認できる前面モニタ, など多くのフィードバックを得ることができ, それをもとに補助量を個々の患者に応じて設定することができるというものでした.
また一般演題では当院及び関連施設からも多くの発表があり, 非常に有意義な会となりました.

 

2日目のJapan-Korea NeuroRehabilitation Conferenceでは, 始めに藤田保健衛生大学医学部リハビリテーション医学Ⅰ講座教授の才藤栄一先生より, “Exercise and robotics in neurorehabilitation”の演題で, Balance exercise assist robot (BEAR)や, 前述のGEARの紹介をされました. 招待講演では, 慶應義塾大学医学部整形外科学教授の中村雅也先生より, “Regenerative medicine for spinal cord injury”の演題で肝細胞増殖因子(HGF)やiPS細胞を用いた脊髄損傷に対する再生医療についてご講演いただきました. シンポジウムでは兵庫医科大学リハビリテーション医学教授の道免和久先生よりconstraint-induced movement therapy (CIMT)について, 東京慈恵医科大学附属第三病院リハビリテーション科准教授の角田亘先生からは反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)について, Kyungpook National University Hospital リハビリテーション科教授のYang-Soo Lee先生からは”task-oriented gait training”について, Asan Medical Centerリハビリテーション科教授のCenter Chun Minho先生からは脳梗塞患者に対しての歩行訓練ロボットに関してのご発表をしていただきました. その後の討論でも活発な討論を聞かせていただきました.
ポスター会場では昨日に引き続き多くの発表があり, 2日目も大成功で終えることができました.リハビリテーションは整形外科とは切っても切れない関係にあり, 非常に勉強になった素晴らしい会でした. 整形外科だけでなく, リハビリテーションにも深く関わっていきたいと改めて感じました.
才藤栄一先生

 

 

 

 

中村雅也先生シンポジストの先生方

今回の2日間の学会の成功は学会運営に関わった先生方, スタッフの方々. ご支援いただいた同門の先生方のおかげです, 誠にありがとうございました.

集合写真

お疲れ様でした!

木島泰明先生留学便り4

留学便り4

今回はパリ第12大学アンリ・モンドール病院のカンファレンスについてご紹介します。

毎朝7時半過ぎ(フランス人は時間にルーズという話もよく聞くが、確かにそうかもしれない。カンファも、全員が集まって「さあ始めましょう」という感じではなく、それなりの時間に、それなりの人数が集まると、なんとなく始まり、徐々に人が増えてくる、つまり学生さんも含め、ほとんどの人が遅れてくる)から、前日の急患と前日の手術症例のプレゼンがある。

シャーカステンでの提示がほとんどだが急患の画像は病院端末の画像を大きなテレビに映している(東芝ビエラ!)。急患は予定手術とは別にすぐに手術が施行されていて、カンファに出されるときにはもう術後である症例も少なくない。そういう意味でも専門以外の手術も普通にこなせる技量が要求されるが、少し困難な例では専門医が呼ばれたり、後日の手術になったり、やり直しになったりすることもあるようです。

カンファでは1例1例終わるたびに、主にPoignard教授(No.3の教授)がレコーダーにカンファの結果を録音している(ここでは手術記録だけでなく、すべての記録をレコーダーに録音する。そうすると誰かがタイプしてくれるらしい。欧米はみんなこうなのでしょうか)。カンファの内容を録音したものは、コンクルジォン・ドゥ・スタッフというカルテのページにしっかり記録される。

夕方のカンファレンスは月曜日と水曜日の16時半過ぎ頃からなんとなく始まる。結構前からインターンの先生がプレゼンの準備をしている。夕のカンファでは術前の症例が提示されるが翌日や翌々日などの症例なので、問題点が指摘されれば準備が間に合わないのではないかという気がするが、結構1例1例、みんなが言いたいことを言って時間をかけて話しているわりに、結局は術者の当初の方針を押し通す!という印象でした。

カンファは、僕が来て最初の1回だけは、Japanese friendがいるからとか言って頂いて英語で行われたものの、やはり大変だったようで、その後はフランス語で行われています。カンファをある程度理解するには、まずはフランス語の数字を聞き取れるといい。アン、ドゥー、トワのその続きを100まで分かれば事足りる。症例提示では患者さんの名前に続いて年齢が示される。その年齢を聞き取れるだけでまずはうれしい。プレゼンでは必ず年齢を最初に言っているのに、議論中に何回も「その患者さん(まらーどぅ)は何歳だっけ(けらーじゅ?)」と聞かれるのは日本のカンファにもよくあることで、整形外科の治療方針決定には、洋の東西を問わず、年齢はかなり重要だということでしょう。

あとはL4/5の4-5は「かとうさん」に聞こえる(きゃとる・さんき)」し、5/Sは「さんき・え・さん」に聞こえる(ほんとは何と言っているのかわからないけど…)。あとは意外と英語よりもローマ字読みに近いし、画像を見ていればなんとなくわかる。たとえば、いんすたびりて、すこりおーす、とらんすばはす、ばはてぃかる、などは意味が分かる。それと、Thereforeは<どんく>、Howeverは<め>、Becauseは<ぱすく>だと思えばだいたいいいようです。街での買い物でもRの発音さえ気を付ければだいたい通じます。Rの発音が英語と違っていて、教科書では「らりるれろ」で表記されますが、「はひふへほ」に聞こえます。なので、舌を下の前歯の裏につけて「はひふへほ」と発音すれば通じるようです。パリに来てよく使うのが「じゅ・ぷ・ぺいえ・ぱは・かふとぅ」(Je peux payer par carte?カードで支払えますか)です。大抵のお店でクレジットカードは使えます。

ちなみにカンファレンスで、固有名詞は「じゅで」と「ますきゅれ」(と聞こえる)以外は出てこない(聞き取れている範囲ですが)。チャンレーもシャンリー(もしかしてチャンレーをそう読んでいたりしてと思ったが)も出てこない。Alexandreはエリクソン、incisionはアンシジォンに聞こえる。執刀時は「お願いします!」ではなく、皮切を入れながら大声で「あんしーじぉん!」と言って手術を始めています。

写真1 写真2

前から偉い人順に座る。シャーカステンだけで見えない時は前まで見に行くスタイル。
写真3 写真4

左側に東芝ヴィエラ。カンファ内容はテープレコーダーでカセットテープに。
写真6 写真5

こちらは手術と手術の合間に使う整形専用控室。ここで手術直前に作図。

第60回秋田県整形外科医会(三澤晶子)

2014年11月22日に開催されました第60回秋田県整形外科医会において最優秀演題賞をいただきました。並み居る先輩、後輩、計6題の中から選ばれましたことを大変うれしく存じます。

賞をいただきました「受診契機からみた側弯症学校検診の有用性」は島田洋一教授からモアレ検診の読影を引き継いだ2007年からの結果をまとめたものです。今回は大学、当センターの初診例をまとめましたが、データ収集におきましては、本郷道生講師に大変お手数をかけしました。この場をお借りして御礼申し上げます。

今まで、県医会の発表はほとんどなかったのに、満を持して、なぜ、今回演題を発表しようと思ったか?それは60回というキリのよい回数だったこと、地味な活動をお知らせしたいという思い、早期発見の重要性について先生方にご理解いただきたいという思い、などなどありますが、本音を申しますと、チーム側弯のお食事代を手に入れようという非常に高い(?)モチベーションがありました。ご評価くださる先生方にも気合が伝わっての受賞ではないかと内心思っております。

今後も高いモチベーション(学術的に)を持ち続けるよう、今回の受賞を糧に頑張ります。

ありがとうございました。

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秋田県立医療療育センター 三澤晶子