投稿者「akita-u-seikei」のアーカイブ

イギリス留学記 ~その4~ (工藤大輔)

英国へ留学し、約2週経った。こちらに来てから日中ずっと晴れていたのは2日くらいだろうか。毎日数時間おきに雨が降ったり、やんだりしている。年間降水量は東京より少ないようであるが、毎日しとしと降っている感じ。感覚としては秋田より天気が悪い気がする。写真は奇跡的に終日晴れていた週末の宿舎の裏のあたりで、シティホスピタルの敷地内で撮影したもの。

写真6 先日テレビが欲しくなり、近くのホームセンターに買いに行った。英国でテレビを見るためにはTV licenceなるものを購入しないと見られないので(厳密には見られるが、ちゃんとお金を払わずにこっそり見ると罰金を請求される)、さっそくOnlineで購入した。しかし、残念ながら宿舎の電波が弱いためか?見られなかった。ブースターをつなげば映るかもしれなかったが、あいにくどこに売っているのか分からないし、日本の家電量販店のような店も近くにはない。仕方なく、届くか不安であったがAmazon.ukで注文してみた。結果は・・・ちゃんと届いたが、玄関先に荷物が置かれていた。

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もちろん受け取りのサインもなし。事前にメールが来ていつ届くとか、不在時の対応(玄関先に置いてもらう、ガレージに置いてもらうなどいくつか選択できる)が記載されていたのだが、予定より早く届き、しかも不在時の対応を選択する前に玄関先にそっと置かれていた。たぶん高価なものはamazon.ukで頼まないほうが無難かもしれない。幸いテレビは見ることができた。イギリスではほとんどの番組が英語の字幕付きで見られるのだが、逆に字幕がないと英語が速すぎてさっぱり聞き取れない。でも字幕を見ながらだとけっこうリスニングの勉強になることに気付いた。朝のカンファレンスは骨粗鬆症性を含む椎体骨折(何となく、階段からの転落症例が多いような気がする)、と脊椎転移が圧倒的に多い。骨粗鬆症性椎体骨折ではほぼルーチンに多発性骨髄腫のスクリーニングを行っているようだ。また脊椎転移では不安定性がない場合にはVertebroplasty (cement augmentation)も積極的に行っているようだった。

今週見学させていただいた手術は全部側弯であった。並列で別の手術が行われていることもあるが、側弯の手術がある日は側弯を希望している。今週はグレビット先生のAISの手術の他、メディアン先生のEOSに対するGrowing rod法の手術を見せていただいた。印象はAmazing!の一言に尽きる。スクリューは凹側凸側全椎体フリーハンドで、あっという間に設置し(四肢の骨折の手術より早いかもしれない)、矯正ももちろんすばらしかった。個人情報なので、詳しいことはここに書けないが術式としてはShilla法をmodifyした感じの手術であった。通常Growing rod法では全部展開しないが、本法では全部展開しており、フェローの先生に聞いたらSemi Growing rodと言っていた。またFinal fusionの手術もしないと言っていた。メディアン先生は閉創前に退室されてしまい、あまり質問できなかったので、今度いろいろ聞いてみたいと思う(写真:病院の正面)。

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イギリス留学記 ~その3~ (工藤大輔)

2016年1月4日月曜日。今日も夜明け前に病院に向かう。病院までは無料のシャトルバスがあり30分くらいかかり、病院に着くころにようやくうっすら空が明るくなる(写真5)。新年明けて最初の研修は、毎日の朝の全体カンファレンスの後、グレビット先生の外来見学であった。イギリスでは日本とは違い、かかりつけ医(GP)からの紹介がないと専門医を受診することができない。フェローの先生と一緒にグレビット先生の外来につき、Consultantであるグレビット先生がフェローを教育し、またフェローの先生もグレビット先生に適宜質問し、一つ一つの症例をディスカッションするというスタイルであった。新患が多いせいか一人一人の患者さんとの面接や診察の時間が日本よりも長く丁寧であると感じた。ちなみに診療録の記録は一通り診察した後にまとめて病歴や所見を音声として記録するというものであった。また腰痛のみの症状で紹介された患者は日本のようにすぐ薬を処方したり、注射をしたりすることもなく、多くは運動療法を指導し、特に所見や画像に問題無く、手術適応がない場合にはもとのGPに再紹介していた。この日の午後は、グレビット先生のご高配でUniversity Hospitals of Leicesterの側弯外来を見学させていただいた。こちらの病院で手術適応の患者さんが来ればQMCへ紹介し、手術を行っているとのことであった。ちなみにイギリスでは小児の側弯症に対する装具療法はほとんど行われていないとのことで、理由はイギリス人の女の子の多くがタイトな服を好み、装具を付けたがらないためコンプライアンスが悪く、多くは装具ではなく手術を望むからと教えていただいた。また側弯の学校検診も現在では行われていないとのことであった。日本では検診でなるべく早く発見して、装具療法でなるべく手術を回避しようとしているが、こちらでは装具療法を行う程度の側弯はさほど問題ではなく、進行したら手術をすれば良い(するしかない!?)というコンセプトなのだろうか。

今週は側弯症手術と腰椎人工椎間板置換術であった。側弯症手術では執刀前のレベル確認のマーキング針の打ち込みはなく、まず腰椎のみ展開し、術中所見と肋骨の触診などで見当をつけてスクリューを挿入(術前のX線と術野の終椎の傾きを見比べればほぼ間違いそうにないのだが。)し、術中にX線側面像を撮影してレベルを確認。腰椎にスクリューを入れ終わったら、胸椎を展開し、胸椎にスクリューを挿入していた。ちなみにグレビット先生のお考えでは、アウトカムに対するエビデンスが弱いとのことで回旋変形の矯正はあまりこだわっておらず、頂椎レベルでは凸側にしかスクリューを挿入しないとのことであった。もう一つの理由は脊髄が凹側によっているため、安全性を考慮してとのことであった。スクリューは刺入点の骨をリュエルで咬除してから、全てフリーハンドで素早く挿入していた。スクリューを入れ終わると、頂椎凸側の肋骨形成(肋骨切除)を行っていた。これはいつも行っているわけではなく、見ためを考慮してとのことであった。続いてCapener lamina gougeで次々と両側の下関節突起の切除を行っていく。骨から出血するのだが、手際よくサージセルとガーゼで圧迫するのでそんなに出血しない。凸側にロッドを設置すると側弯が矯正される。コンプレッション、デコンプレッションをかけてさらに側弯を矯正してから再頭側は横突起にフックを設置していた。凹側も同様にロッドを設置し、最後に棘突起を基部を少し残して切除、移植骨とし、ノミで残った棘突起基部と椎弓外板を削ぐようにdecorticationを行い、切除骨を置いて閉創していた。骨切り操作を手術の終盤に行うことで出血が押さえられ、また手数を少なくすることで手術時間が短縮されていると思われた。別の日は小児の後側弯で、Ponte Osteotomyを併用した矯正術であった。骨切りはノミで両側下関節突起を切除し、残った正中の骨を棘突起ごと一気にリュエルで切除するというやり方であっという間に、骨切りが終わってしまった。ちなみにこの手術では長い手術だから・・・ということでみんな途中で手を下ろしてランチタイムをとっていたのに驚いた。

グレビット先生は脊柱変形を主に手がけられているようであったが、今週は腰椎前方進入による人工椎間板置換術も見せていただいた。実はこれまで腰椎前方進入を見たことがなかったので、すべてが驚きであった。術中は一つ一つ丁寧に解説していただいたので非常に分かりやすかった。まだ1週間しか経ってないが、非常に勉強になった1週間であった。

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チームイリザロフ,秋田大学附属病院プロジェクトコンペ最優秀演題賞表彰式!!

昨年末に行われました,秋田大学附属病院プロジェクトコンペで,チームイリザロフが最優秀演題賞受賞したニュースを先日お伝えいたしましたが,2016年1月7日,その表彰式が盛大に行われました.プロジェクトを支えて下さった坂谷慶子師長,門間りつ子看護師はじめ,中心メンバー(高橋加苗,金 悠佳,朝倉愛子,照井ゆかり 敬称略)が列席いたしました.病院長から,『附属病院発展のため,益々頑張ってほしい』と激励いただき,堂々たる発表をした高橋加苗看護師が賞状を,金 悠佳看護師が目録を受け取りました.その瞬間を目にしたときは,ちょっと目頭が熱くなりました.イリザロフ創外固定のケア,退院支援は年々進歩しており,病棟に次々と新しいスタッフが入っても,ケア,退院支援のレベルが維持,発展しているというのは,チームイリザロフが成熟した組織である証しだと感じています.今年もたくさんの患者さんと共に歩みながら,大きな研究成果を挙げていけるように,みんなで頑張りましょう(^^)/

最後に,師長さんから一言いただきました

第一病棟8階の坂谷慶子です。病棟の退院支援ワーキンググループが院内のプロジェクトコンペ(医療サービス部門)で最優秀賞をいただきました!!日々の病棟スタッフのがんばりを院内に発信できればと思いコンペの参加を思いついたのですが、こんなに素敵なご褒美がいただけるとは想像しておりませんでした。とてもうれしく、スタッフのがんばりを誇りに思っております。これからも、スタッフとともによいケアができるようがんばっていきたいと思っております。イリザロフケアセミナーでご支援いただいた島田洋一教授はじめ、野坂光司先生に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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イギリス留学記 ~その2~ (工藤大輔)

12月30日ノッティンガムシティホスピタルからクイーンズメディカルセンター(QMC)行きのバスに乗る。宿舎のあるシティホスピタルはQMCの姉妹病院らしく、研修するSpine unitはQMCにある。バス停で待っていると高齢の男性に話かけられ、どこから来た?という質問以外は早口で何を言っているか全くわからなかった。QMCに着き、受付のおばさんに脊椎外来の場所を聞き、脊椎外来に向かう。脊椎外来でGrevitt先生の居場所を尋ねるがどうやらX線撮影室にいるとのことで、今度はX線撮影室に向かう。しばらく待つが忙しいのかなかなかお会いできない。そうこうしているうちに今度はオフィスに案内され、まずはIDカードを作ると言われ写真を撮影、カードがすぐに出来上がったが、その後またオフィスでしばし待つ。するとフェローの先生が来てくれて、Grevitt先生は今注射をしているとのことで、それが終わるまでお相手をしてくれた。Spine unitはこちらでいう医局のようなオフィスの他、カンファレンスルームと病棟が隣接しており、とてもアクセスが良さそうだった。年末のためかみんな暇そうで卓球をしたり、しゃべっていたりしていた。日本の医者より時間的に余裕があるのだろうか。午後になるとGrevitt先生の注射が終わったとのことで、オフィスに案内され、初対面。すごく感じの良い先生で、何を見学したいか聞かれ、deformityと答えると、今度院外での出張の手術もあるから、それに連れていって下さるとのことであった。この日はあいさつを済ませ、またバスに乗って帰宅した。

12月31日、日本ではたいていの病院は休みであるが、この日は手術があるとのことで、朝の7時すぎに出勤した。ちなみにまだ空は真っ暗で月が出ていた(写真4)。 この時期夜が長いが、夏になると逆に日が長くなるらしい。この日の手術はT10-Iliacまで固定された高齢女性のPJKに対する固定延長手術であった。術式は緩んだT10のスクリューを抜去し、T4,5をフック、T6,7椎弓根スクリューでアンカーを作成し、コネクターでロッドを連結するというものであった。胸椎のスクリューは刺入点を小リュエルで骨切除し、フリーハンドでプローブ(pedicle finderと呼んでいた)を挿入、デプスゲージで長さを測って挿入するというものであった。コネクター部は力学的に弱いとのことで「川」の字に別のロッドを横止めで連結して補強していた。閉創前に、大量のイソジンで創内を洗浄し(衝撃的)、バンコマイシンの粉末を散布していた。手術を終えると術後X線の撮影はなく、抜管後、足の動きを確認することもなく、患者さんは退室していった。その後、フェローの先生に休憩室に連れていってもらい、果物やパンを食べ、しばらくおしゃべりをしてから、患者さんの元に向かった。幸い足はちゃんと動いていたが、動かなかったらどうするのだろうと心配になった。

この日の夜は、Grevitt先生のご家族にご招待され、ディナーにご一緒させていただいた。とても気さくな良い先生で、宿舎のことを心配してくれたり、今後を研修のことを気遣っていただいたりした。食事を終えるとノッティンガム中心地の散策に連れて行ってもらった。新年を祝う若者と音楽があふれ、花火も上がり、イギリスのNew yearの雰囲気を味わえた。

(写真4)

写真4

イギリス留学記 ~その1~ (工藤大輔)  

12月28日月曜日18時30分予定通りヒースロー空港到着。この日は、空港近くのホテルに1泊し、翌日ノッティンガムへ向かうことに。長旅で疲れたので、夕食は摂らずにこの日はすぐに寝ることにした。

翌朝、National expressというノッティンガム直行のバスに乗る。金額は日本円で一人一万円ほど。結構高いが、スーツケースが重いので地下鉄を乗り継ぐよりはきっと楽だったはず。ロンドンから3時間ほど北上するとノッティンガムであるが(写真1)、途中の景色は畑や牧場が広がり、ずいぶんのどかな印象だった。バスターミナルに着くと、ブラックキャブというタクシーに乗り換えて、ノッティンガムシティホスピタルに向かう。ブラックキャブとはいっても深い緑色で、街の景観によくマッチしているようだった。宿舎の場所はあらかじめグーグルストリートビューで確認していたので、なんとなく着いたが、事前に指示されていた鍵の開け方が分からず。しかたないので、同じ敷地内(とはいってもスーツケースを転がして歩くには結構遠い。)にある宿舎を管理している事務所に向かうがどうやら今日は閉まっているらしい。年明けまで閉まっているらしく、少しあせる。困っていたところ、通りすがりの病院職員の家族?らしき人に教えてもらったところに行くが、ここも鍵が閉まっている。指示された鍵の開け方を試すが、案の定開かない。何度か試しているうちに、中から住人が出てきたので、その隙に進入すると、黒い金庫を発見。日本にいるときに教えてもらっていた暗唱番号を打ち込むと金庫が開いて、Dr. Daisuke Kudoと書いてある封筒を発見。中には宿舎の鍵が入っており、最初に行った宿舎の鍵だとわかった。

宿舎は2階建てで、キッチン、リビング、寝室3部屋で家具、家電も備わっていた(写真2)。部屋も思っていたよりきれいで、宿舎を手配してくれた職員の方に感謝。暖房の付け方が分からず、家の中をいろいろ探っていると2階にWater heaterと書いてあるタンクを発見(写真3)。どうやらこれで水を温めて、循環させることで部屋を暖めるようだ。ネットで調べると、イギリスでは一般的な暖房方法らしいが暖まるのに時間がかかるらしく、一日中つけておいたほうが良いらしいということと、お湯もこのタンクから使用するらしく、両方同時に使いすぎるとだめらしいということを知った。日本ではストーブやエアコンが一般的で、部屋もすぐに暖まるので、どうも馴染めない。パソコンを見てみるとこれからお世話になるGrevitt先生からのメールがあり、着いたら電話をして欲しいとのことであった。電話をすると明日9時すぎに病院に来て欲しいとのことであった。

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(写真2)

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2015年 御用納め (水谷 嵩)

2015年12月28日、秋田大学医学部付属病院では今年の一般外来業務が終了となり、各診療科で各々仕事納めとなったようですが、整形外科でも18時から一年の締めくくりとして秋田大学前暖やで御用納めが行われました。毎年恒例行事となっており、今年一年を振り返りながら歓談を楽しみました。2次会では座敷をひろげ看護師やリハビリスタッフとも合流するのも恒例で、多職種間で普段なかなかできない様な情報交換や議論もでき、充実した会となりました。今年は途中から同じ店で御用納めをしていた放射線科のスタッフの皆さんも合流され、いつも以上ににぎやかな会となりました。みなさん普段は挨拶程度しか交流のない方々ともじっくり話す機会を作ることができたのではないでしょうか。

来年も整形外科では学会発表だけではなくスポーツの分野でも新たな抱負を掲げ、今年以上に皆が括約できるよう決意を新たに出来たと思います。今年一年お疲れ様でした。

留学便り15-フランス編最終章-(木島泰明)

2015年の1月から6月まで、フランスのパリとリヨンに留学させていただきました木島泰明です。6月の終わりに半年ぶりに帰国し、7月からは秋田の現場に復帰させて頂いておりますが、早いもので我々家族がフランスに出発した昨年の暮れから今日でちょうど1年が経過しました。

秋田県のみなさんには、9月に行われました第4回秋田県股関節研究会の特別講演1として帰朝報告をさせていただきましたが、ブログを読んでくださっていたみなさんに最後のご報告ができていなかったため、留学便り-フランス編最終章-を記させていただきたいと思います。

パリのことは過去の留学だよりにもレポートしておりましたが、リヨンについてはあまりご報告できておりませんでした。リヨンはパリに次いでフランス第2の都市と言われていますが、パリからリヨンに来て最初の妻の感想は「田舎だね」でした(秋田よりは都会なのだと思いますが)。それは決して悪い意味ではなく、パリの一部の地域で感じるようなきな臭い雰囲気がなく、犬の糞もほとんど落ちていません!メトロもありますが、駅の構内もパリより綺麗で、バスも環境に配慮したトロリーバスが走っています。北東から流れ込むローヌ川と北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流し、この合流地点にコンフリュアンスというエコシティを作るというヨーロッパ最大規模の都市再開発計画が進行中です。ソーヌ側の西側は石畳の街並みの残る旧市街で、リヨンの象徴サン・ジャン大教会の建つフルヴィエールの丘があり、ここからの、世界遺産に登録されている旧市街全体の眺めが絶景です。そしてこの丘の中腹にあるミシュラン1ツ星のTetedoieというレストランが料理も良し、眺めも良し、子連れもよしでオススメです!また個人的にはリヨンの北部にあるLe Parc de la Tete d’Or(テットゥドール公園)もお気に入りです。とても広くて公園内に無料の動物園や植物園があるだけでなく、4歳児でも一人で乗せてくれるゴーカートがうちの子、虎太郎のリヨンの思い出です。

このLe Parc de la Tete d’Orの北の端にあるCité Centre de congrès LyonでISAKOS 2015(第10回国際関節鏡・膝関節外科・スポーツ整形外科学会, 10th Biennial Congress of International Society of Arthroscopy, Knee Surgery & Orthopaedic Sports Medicine)が2015年6月7-11日に行われました。僕がちょうどリヨンにいる期間の開催でしたのでRelationship between pain in athletes and elasticity of muscle-tendon junctionというタイトルでE-posterで発表させていただきました。この学会に参加するため秋田から齊藤英知先生を筆頭に、佐々木香奈先生、佐藤千恵先生、赤川学先生、塚本泰朗先生の5名がリヨンに来てくださいました。12月以来、約半年ぶりに秋田のメンバーと再開でき、リヨンでみんなでディナーを共にでき、本当に心温まるひとときでした。みなさんからたくさんの日本食のお土産も頂き、その後の我が家の食卓が一変したのを思い出します。本当にありがとうございました。またこの学会には以前よりBonin先生とご懇意にされている産業医大若松病院の内田宗志先生とそのグループの先生もいらっしゃっており、Bonin先生の手術のご見学にもいらしていただきました。Bonin先生はISHA(International Society for Hip Arthroscopy)のExecutive Committee Memberで、ISAKOSに参加された多くの股関節鏡で有名なドクターともお知り合いでしたので、ISKOS会期の間にそんな有名ドクターをみなさん招待し、あの有名なポール・ボキューズのレストランの本店でのディナーを開催されました。

前回の留学だより14では、このLyon-Ortho-ClinicのNicolas Bonin先生(ニコラ・ボナン先生とお読みします)の股関節鏡手術についてレポートさせていただきましたが、先生は股関節外科医であり、件数としては人工股関節置換術(THA)の方が股関節鏡手術よりも2倍多く、パリのAlexis Nogier先生と同じような比率です。仰臥位のDirect Anterior Approach(DAA)でTHAを行っている点も同じですが、違うのは牽引台を使用せずにDAA-THAを行っているところです。摺動面の選択はやはりCeramic on Ceramicが基本でしたのでスクイーキングについてお伺いすると、カップの外方開角を少なめにすれば大丈夫とのことでした。具体的な手技はNogier先生の手技(留学だより12を参照してください)とほぼ同じですが、外側大腿回旋動静脈を結紮ではなく凝固している点、関節包をできるだけ温存している点、カスタムメイドステムではなくフランスでよく使われているDepuyのCorailタイプのステムを使っている点が違いました。Robert Judet考案の牽引台を使用していないので大腿骨側の処置を行う場合は、ベッドの足側を傾けて股関節伸展位とした状態で、助手が患肢を胡座の肢位にして内転・外旋位にしながら行います。そのためにNogier先生は器械出しの女性ナースと二人で手術するのに対し、Bonin先生は男性ナース2人に器械出しと助手をしてもらって手術をされていました。この方法の利点はセッティングがラクな点と脚長差を術中に簡便に確認できる点、また脚を自由に動かせるので脱臼抵抗性のテストも術中にしやすい点などが挙げられ、日本のDAA-THAのエキスパートの先生方もこの方法を採用されていることもあり、秋田大学整形外科でのDAA-THAも牽引台を用いずに行う方法を取っています。

リヨンはパリよりもスイス、ドイツ、イタリアに近く、スペインへの通過点でもあり、ヨーロッパの交通の要衝です。つまり、鉄道、高速道路、空路、河川路など、とても充実した交通網の中心にあります。高速鉄道(TGV)がリヨンとパリを2時間弱、ブリュッセルと3時間半で結んでいます。フランクフルト、バルセロナ、ジュネーヴ、ブリュッセルとは高速道路網によって途切れることなく結ばれています。リヨン=サン=テグジュペリ空港は、国外70都市以上を含む約100都市と結んでいます。河川路では、エドゥアール・エリオ港が貨物の通過・流通地点で、多くの企業が進出しているとのことです。この空港の名前でピンときた方もいらっしゃると思いますが、世界的なベストセラーとなっており最近映画化された名作小説「星の王子さま」の作者アントワーヌ・ドゥ・サン= テグジュペリがリヨン出身です。

ところで、留学だより11を読んでくださった方は、ヨーロッパ21カ国の過半数11カ国制覇の目標はどうなったのかと思われているかと思います(そういえばそんな記載もあったね、という方がほとんどだとは思いますが、一部の方には質問を頂きました)ので、その報告を最後にさせて頂きます。留学だより11の時点で、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツの5カ国を制覇(通過)していたので残り6カ国です。まずはパリ時代にお世話になった虎太郎の幼稚園の友達ファミリーがパリから引っ越されたスペイン・バルセロナにはTGVで行きました。車より断然ラクで週末の一泊旅行で往復でき、妻も虎太郎も大喜び。バルセロナではその友達ファミリーとディナーをご一緒できただけでなく、コンパクトにまとまった様々な観光名所あり、綺麗なビーチありのバルセロナはもう一度行きたい都市の1つです。サグラダファミリアの内部が必見です!

すっかりTGVファンになった我々はモナコ公国にもTGVで行きました。ちょうどF1のモナコグランプリが我々のリヨン滞在中にあることを日本にいるときから知っていましたので、車好きの虎太郎のためにチケットは取っておりました。ただし、モナコのホテルは高くて宿泊できないので南フランスのリゾート地としてパリジャン・パリジェンヌのバカンス候補としても名高いニースに前泊し、F1決勝レース当日にニースからモナコ入りしました。いやいや、すごい人、すごい車、すごいモナコで、とても内容は書ききれませんのでご容赦を。

ISAKOSが終わってから帰国までの間に数日間、自由にできる時間が得られましたのでその時間を利用して、最後にもう一度レンタカーを借りリヨンを出発しました。フランスの山岳リゾート・シャモニーからモンブランを眺めたあとに、マッターホルンを目指してスイスのツェルマットへ。山を堪能したあとは車を電車に載せて国境の長いトンネルを抜け、イタリアのミラノへ。さらにミラノからヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと車で巡り、もちろんバチカン市国にも入国。さらにローマからナポリを経て、イタリア半島を横断する形でアドリア海沿岸の港町バーリに。バーリの近くの世界遺産、アルベロベッロのトゥルッリもオススメです。バーリで車を返して、最後にフェリーに乗ってギリシャのアテネまで行ってきました。アテネは暖かく、物価も安く、フランスから遠く離れた熱帯リゾートに来た気分でした。そうです、このギリシャ上陸によって、ヨーロッパ21カ国の過半数11カ国制覇を果たすことができました。純粋な自己満足ですが、行ったことのある都市がテレビに映るだけでも妻や虎太郎の目の輝きが以前と違うのを感じ、そのたびに自己満足感が増すのを感じている今日このごろです。

もちろん自己満足だけではなく、フランスで得られた貴重な経験を現在、秋田の現場で生かすことが出来ておりますし、この留学だけでなく、この経験を活かす機会を頂けているのも島田洋一教授をはじめ秋田大学整形外科医局の先生方、また山田晋講師をはじめ秋田県股関節グループの先生方、さらには留学先をご紹介してくださった順天堂大学の金子和夫教授や本間康弘先生、仙台市立病院の野口森幸先生をはじめ日仏整形外科学会の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。今後は全国へ、またフランスを含めた全世界へ発信していけるような成果をあげることで、股関節疾患で苦しんでいる患者さんたちに少しでも貢献できるよう尽力することが、この御恩に報いることと感じております。今後とも何卒宜しくお願い致します。

フランス帰朝報告No.1

左上:テットゥドール公園。左下:フルヴィエールの丘からのリヨン旧市街。右上:ISAKOSのメイン会場。右下:秋田からのISAKOS参加メンバー(撮影:香奈先生)。

 

 

フランス帰朝報告No.2

 

50年間ミシュランの三ツ星を維持しているポールボキューズのレストランでのHip Arthroscopist Dinnner!!

 

 

 

フランス帰朝報告No.3

牽引台を使わないDAA-THAではベッドを傾けて股関節伸展位を取り、助手が下肢を内転・外旋位にする。手洗いさせていただいた時にはこの役回りをやらせていただきましたが体格のいい患者さんではなかなか力が必要です。

 

 

↓ 左上がツェルマットからのマッターホルン、左下はシャモニーのモンブラン?

フランス帰朝報告No.4

 

 

 

 

 

↓ イタリアからフェリーに乗ってギリシャまで。フランス帰朝報告No.5

 

ついに開催! 第1回秋田足の外科グループ秋田イリザロフ法グループ合同論文合宿(野坂光司)

12月19日,第1回秋田足の外科グループ(AFG)秋田イリザロフ法グループ(AIMG)合同論文合宿を開催することができました.我々のグループは秋田市外のメンバーが多く,これまではメール会議がメインでしたが,今回多数のメンバーが参加してくれました.ASG,A-BONE,ASAKGに遅れはとりましたが,今後,メンバー各自が高い志を持ち,学会研究会で発表した内容は,どんな小さくても論文化していくことを誓い合いました.

今後の症例登録とリサーチの意見を交換,最新論文の抄読会,柏倉先生によるミニレクチャーなど盛りだくさんの内容を1時間で終わらせ,すぐに論文作成に移りました.最後まで頑張ったメンバーからは,仲良しグループでは終わらないぞという強い意志を感じました.

土曜日にもかかわらず,頻繁にカンファランス室に顔を出してくださった島田教授には心より感謝いたします.それが我々グループへの教授の期待の大きさか,信用のなさかは不明ではありますが,メンバーもその都度集中し直せました.

AFG,AIMGからバンバン論文が発表されるよう,今後も継続的に行っていきたいと思います.

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2015年 秋田大学整形外科医局大忘年会  (赤川 学)

2015年12月12日、整佑会総会に引き続いて、秋田大学整形外科大忘年会が秋田ビューホテルで行われました。

整佑会会員に加え、関連病院長など多数の御来賓の先生方のご出席を賜り、またリハビリスタッフや病棟看護師の出席も多く、総勢140名を超える盛大な忘年会となりました。

はじめに島田洋一教授からご挨拶を頂き、今年1年の秋田大学の活動をまとめていただきました。引き続き発表されたAAOS travelling fellowでは、秋田厚生医療センター・菊池一馬先生、角館総合病院・斉藤公男先生の両先生が受賞されました。続いて1病棟8階坂谷慶子師長から、今年一年の病棟の活動についてまとめていただきました。イリザロフケアなどで素晴らしい業績をあげた看護師さんたちの日ごろの支えに感謝する次第でした。また御来賓の先生方を代表し、秋田厚生医療センター阿部栄二院長よりご挨拶を頂き、こんな医師・看護師にはならないようにという訓示を頂きました。

宮腰尚久准教授の乾杯の音頭で忘年会が開宴し、「エンターテイメント」と島田教授がおっしゃったように、イベントが目白押しでした。秋田大学整形外科では、日常診療に加え、スポーツ活動にも力を入れており、部活動報告では、10もの運動部が各々の日ごろの頑張りをまとめ、プレゼンしました。中でも今年から創部された秋田ノーザンファルコンズの活動は目覚ましく、エースである野坂光司先生が、今年度の秋田大学整形外科スポーツ大賞を受賞されました。続いてビンゴ大会が開催され、豪華景品をかけ盛り上がりました。

そして、毎年の目玉である新人の出し物では、新人看護師さんたちがモーニング娘。の曲に合わせ、セクシーなダンスを披露しました。また、我々大学院1年目も、工藤大輔先生、土江博幸先生のご協力のもと、hidezapの動画とそれに引き続き、ラッツアンドスターのめ組の人を踊りました。ゲストとして、粕川雄司講師と野坂光司先生にもご協力を頂き、さらにはスペシャルゲストとして宮腰尚久准教授にも参加していただき、壮大な芸になりました。この8人のメンバーは今後から秋田ノーザンシャネルズと名乗ることになりました。

最後には松永俊樹准教授の万歳三唱で中締めをし、盛大な忘年会が幕を閉じました。

今年も多くの先生方にご協力いただき、忘年会を滞りなく進めることができました。幹事一同心から感謝しております。

今年一年大変お世話になりました。来年もよりよい一年となるよう頑張ってまいりますので、引き続きご指導の程よろしくお願いいたします。

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チームイリザロフ,大快挙達成(プロジェクトコンペ最優秀演題賞受賞)!!(野坂光司)

秋田大学附属病院プロジェクトコンペ(12月1日)が行われ,チームイリザロフが最優秀演題賞受賞という,大快挙を達成いたしました.当日は私も聴講しました.演題は『創外固定患者の退院支援を患者の立場に立って考える ~地域連携の導入~』(高橋加苗,金 悠佳,上野洋子,朝倉愛子,照井ゆかり,佐藤千夏 敬称略)で,坂谷慶子師長,門間りつ子看護師を中心に,秋田大学整形外科病棟が,これまで築き上げてきたものの全てがびっしりと詰まった充実した内容でした.その中で,10月に島田洋一教授のご発案,坂谷師長のもとで行われ,大好評だった秋田県イリザロフケアセミナーも詳細に紹介されました.高橋加苗看護師のプレゼンテーションも堂々として素晴らしく,穏やかな中に秘めたイリザロフに対する熱い気持ちが,審査員,聴衆に,余すところなく伝わったに違いありません.

イリザロフ創外固定の管理は看護師さんが中心である特殊性を持ちます.秋田大学医学部附属病院チームイリザロフは全国トップの管理能力を持っていると自負しておりますし,我々秋田イリザロフ法グループの治療成功率の高さは,看護能力の高さによるものと言っても過言ではありません.

イリザロフの治療は決して楽ではありませんし,患者さんもくじけそうになることもしょっちゅうです.高橋看護師が述べた『創外固定患者の退院支援を通し,患者さんの立場に立った支援と,安心して自分の住んでいる地域へ退院できるように,地域連携の第一歩を踏み出しています』という言葉が非常に印象的でした.

3月の日本創外固定・骨延長学会でも,また全国からチームイリザロフの研究が注目されることと思います.今後も島田教授,坂谷師長のもと,ドクター,看護師さん,リハビリテーション,地域連携スタッフが一丸となって頑張っていける,と元気をもらえました.

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