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イギリス留学記 ~その2~ (工藤大輔)

12月30日ノッティンガムシティホスピタルからクイーンズメディカルセンター(QMC)行きのバスに乗る。宿舎のあるシティホスピタルはQMCの姉妹病院らしく、研修するSpine unitはQMCにある。バス停で待っていると高齢の男性に話かけられ、どこから来た?という質問以外は早口で何を言っているか全くわからなかった。QMCに着き、受付のおばさんに脊椎外来の場所を聞き、脊椎外来に向かう。脊椎外来でGrevitt先生の居場所を尋ねるがどうやらX線撮影室にいるとのことで、今度はX線撮影室に向かう。しばらく待つが忙しいのかなかなかお会いできない。そうこうしているうちに今度はオフィスに案内され、まずはIDカードを作ると言われ写真を撮影、カードがすぐに出来上がったが、その後またオフィスでしばし待つ。するとフェローの先生が来てくれて、Grevitt先生は今注射をしているとのことで、それが終わるまでお相手をしてくれた。Spine unitはこちらでいう医局のようなオフィスの他、カンファレンスルームと病棟が隣接しており、とてもアクセスが良さそうだった。年末のためかみんな暇そうで卓球をしたり、しゃべっていたりしていた。日本の医者より時間的に余裕があるのだろうか。午後になるとGrevitt先生の注射が終わったとのことで、オフィスに案内され、初対面。すごく感じの良い先生で、何を見学したいか聞かれ、deformityと答えると、今度院外での出張の手術もあるから、それに連れていって下さるとのことであった。この日はあいさつを済ませ、またバスに乗って帰宅した。

12月31日、日本ではたいていの病院は休みであるが、この日は手術があるとのことで、朝の7時すぎに出勤した。ちなみにまだ空は真っ暗で月が出ていた(写真4)。 この時期夜が長いが、夏になると逆に日が長くなるらしい。この日の手術はT10-Iliacまで固定された高齢女性のPJKに対する固定延長手術であった。術式は緩んだT10のスクリューを抜去し、T4,5をフック、T6,7椎弓根スクリューでアンカーを作成し、コネクターでロッドを連結するというものであった。胸椎のスクリューは刺入点を小リュエルで骨切除し、フリーハンドでプローブ(pedicle finderと呼んでいた)を挿入、デプスゲージで長さを測って挿入するというものであった。コネクター部は力学的に弱いとのことで「川」の字に別のロッドを横止めで連結して補強していた。閉創前に、大量のイソジンで創内を洗浄し(衝撃的)、バンコマイシンの粉末を散布していた。手術を終えると術後X線の撮影はなく、抜管後、足の動きを確認することもなく、患者さんは退室していった。その後、フェローの先生に休憩室に連れていってもらい、果物やパンを食べ、しばらくおしゃべりをしてから、患者さんの元に向かった。幸い足はちゃんと動いていたが、動かなかったらどうするのだろうと心配になった。

この日の夜は、Grevitt先生のご家族にご招待され、ディナーにご一緒させていただいた。とても気さくな良い先生で、宿舎のことを心配してくれたり、今後を研修のことを気遣っていただいたりした。食事を終えるとノッティンガム中心地の散策に連れて行ってもらった。新年を祝う若者と音楽があふれ、花火も上がり、イギリスのNew yearの雰囲気を味わえた。

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写真4

イギリス留学記 ~その1~ (工藤大輔)  

12月28日月曜日18時30分予定通りヒースロー空港到着。この日は、空港近くのホテルに1泊し、翌日ノッティンガムへ向かうことに。長旅で疲れたので、夕食は摂らずにこの日はすぐに寝ることにした。

翌朝、National expressというノッティンガム直行のバスに乗る。金額は日本円で一人一万円ほど。結構高いが、スーツケースが重いので地下鉄を乗り継ぐよりはきっと楽だったはず。ロンドンから3時間ほど北上するとノッティンガムであるが(写真1)、途中の景色は畑や牧場が広がり、ずいぶんのどかな印象だった。バスターミナルに着くと、ブラックキャブというタクシーに乗り換えて、ノッティンガムシティホスピタルに向かう。ブラックキャブとはいっても深い緑色で、街の景観によくマッチしているようだった。宿舎の場所はあらかじめグーグルストリートビューで確認していたので、なんとなく着いたが、事前に指示されていた鍵の開け方が分からず。しかたないので、同じ敷地内(とはいってもスーツケースを転がして歩くには結構遠い。)にある宿舎を管理している事務所に向かうがどうやら今日は閉まっているらしい。年明けまで閉まっているらしく、少しあせる。困っていたところ、通りすがりの病院職員の家族?らしき人に教えてもらったところに行くが、ここも鍵が閉まっている。指示された鍵の開け方を試すが、案の定開かない。何度か試しているうちに、中から住人が出てきたので、その隙に進入すると、黒い金庫を発見。日本にいるときに教えてもらっていた暗唱番号を打ち込むと金庫が開いて、Dr. Daisuke Kudoと書いてある封筒を発見。中には宿舎の鍵が入っており、最初に行った宿舎の鍵だとわかった。

宿舎は2階建てで、キッチン、リビング、寝室3部屋で家具、家電も備わっていた(写真2)。部屋も思っていたよりきれいで、宿舎を手配してくれた職員の方に感謝。暖房の付け方が分からず、家の中をいろいろ探っていると2階にWater heaterと書いてあるタンクを発見(写真3)。どうやらこれで水を温めて、循環させることで部屋を暖めるようだ。ネットで調べると、イギリスでは一般的な暖房方法らしいが暖まるのに時間がかかるらしく、一日中つけておいたほうが良いらしいということと、お湯もこのタンクから使用するらしく、両方同時に使いすぎるとだめらしいということを知った。日本ではストーブやエアコンが一般的で、部屋もすぐに暖まるので、どうも馴染めない。パソコンを見てみるとこれからお世話になるGrevitt先生からのメールがあり、着いたら電話をして欲しいとのことであった。電話をすると明日9時すぎに病院に来て欲しいとのことであった。

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2015年 御用納め (水谷 嵩)

2015年12月28日、秋田大学医学部付属病院では今年の一般外来業務が終了となり、各診療科で各々仕事納めとなったようですが、整形外科でも18時から一年の締めくくりとして秋田大学前暖やで御用納めが行われました。毎年恒例行事となっており、今年一年を振り返りながら歓談を楽しみました。2次会では座敷をひろげ看護師やリハビリスタッフとも合流するのも恒例で、多職種間で普段なかなかできない様な情報交換や議論もでき、充実した会となりました。今年は途中から同じ店で御用納めをしていた放射線科のスタッフの皆さんも合流され、いつも以上ににぎやかな会となりました。みなさん普段は挨拶程度しか交流のない方々ともじっくり話す機会を作ることができたのではないでしょうか。

来年も整形外科では学会発表だけではなくスポーツの分野でも新たな抱負を掲げ、今年以上に皆が括約できるよう決意を新たに出来たと思います。今年一年お疲れ様でした。

留学便り15-フランス編最終章-(木島泰明)

2015年の1月から6月まで、フランスのパリとリヨンに留学させていただきました木島泰明です。6月の終わりに半年ぶりに帰国し、7月からは秋田の現場に復帰させて頂いておりますが、早いもので我々家族がフランスに出発した昨年の暮れから今日でちょうど1年が経過しました。

秋田県のみなさんには、9月に行われました第4回秋田県股関節研究会の特別講演1として帰朝報告をさせていただきましたが、ブログを読んでくださっていたみなさんに最後のご報告ができていなかったため、留学便り-フランス編最終章-を記させていただきたいと思います。

パリのことは過去の留学だよりにもレポートしておりましたが、リヨンについてはあまりご報告できておりませんでした。リヨンはパリに次いでフランス第2の都市と言われていますが、パリからリヨンに来て最初の妻の感想は「田舎だね」でした(秋田よりは都会なのだと思いますが)。それは決して悪い意味ではなく、パリの一部の地域で感じるようなきな臭い雰囲気がなく、犬の糞もほとんど落ちていません!メトロもありますが、駅の構内もパリより綺麗で、バスも環境に配慮したトロリーバスが走っています。北東から流れ込むローヌ川と北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流し、この合流地点にコンフリュアンスというエコシティを作るというヨーロッパ最大規模の都市再開発計画が進行中です。ソーヌ側の西側は石畳の街並みの残る旧市街で、リヨンの象徴サン・ジャン大教会の建つフルヴィエールの丘があり、ここからの、世界遺産に登録されている旧市街全体の眺めが絶景です。そしてこの丘の中腹にあるミシュラン1ツ星のTetedoieというレストランが料理も良し、眺めも良し、子連れもよしでオススメです!また個人的にはリヨンの北部にあるLe Parc de la Tete d’Or(テットゥドール公園)もお気に入りです。とても広くて公園内に無料の動物園や植物園があるだけでなく、4歳児でも一人で乗せてくれるゴーカートがうちの子、虎太郎のリヨンの思い出です。

このLe Parc de la Tete d’Orの北の端にあるCité Centre de congrès LyonでISAKOS 2015(第10回国際関節鏡・膝関節外科・スポーツ整形外科学会, 10th Biennial Congress of International Society of Arthroscopy, Knee Surgery & Orthopaedic Sports Medicine)が2015年6月7-11日に行われました。僕がちょうどリヨンにいる期間の開催でしたのでRelationship between pain in athletes and elasticity of muscle-tendon junctionというタイトルでE-posterで発表させていただきました。この学会に参加するため秋田から齊藤英知先生を筆頭に、佐々木香奈先生、佐藤千恵先生、赤川学先生、塚本泰朗先生の5名がリヨンに来てくださいました。12月以来、約半年ぶりに秋田のメンバーと再開でき、リヨンでみんなでディナーを共にでき、本当に心温まるひとときでした。みなさんからたくさんの日本食のお土産も頂き、その後の我が家の食卓が一変したのを思い出します。本当にありがとうございました。またこの学会には以前よりBonin先生とご懇意にされている産業医大若松病院の内田宗志先生とそのグループの先生もいらっしゃっており、Bonin先生の手術のご見学にもいらしていただきました。Bonin先生はISHA(International Society for Hip Arthroscopy)のExecutive Committee Memberで、ISAKOSに参加された多くの股関節鏡で有名なドクターともお知り合いでしたので、ISKOS会期の間にそんな有名ドクターをみなさん招待し、あの有名なポール・ボキューズのレストランの本店でのディナーを開催されました。

前回の留学だより14では、このLyon-Ortho-ClinicのNicolas Bonin先生(ニコラ・ボナン先生とお読みします)の股関節鏡手術についてレポートさせていただきましたが、先生は股関節外科医であり、件数としては人工股関節置換術(THA)の方が股関節鏡手術よりも2倍多く、パリのAlexis Nogier先生と同じような比率です。仰臥位のDirect Anterior Approach(DAA)でTHAを行っている点も同じですが、違うのは牽引台を使用せずにDAA-THAを行っているところです。摺動面の選択はやはりCeramic on Ceramicが基本でしたのでスクイーキングについてお伺いすると、カップの外方開角を少なめにすれば大丈夫とのことでした。具体的な手技はNogier先生の手技(留学だより12を参照してください)とほぼ同じですが、外側大腿回旋動静脈を結紮ではなく凝固している点、関節包をできるだけ温存している点、カスタムメイドステムではなくフランスでよく使われているDepuyのCorailタイプのステムを使っている点が違いました。Robert Judet考案の牽引台を使用していないので大腿骨側の処置を行う場合は、ベッドの足側を傾けて股関節伸展位とした状態で、助手が患肢を胡座の肢位にして内転・外旋位にしながら行います。そのためにNogier先生は器械出しの女性ナースと二人で手術するのに対し、Bonin先生は男性ナース2人に器械出しと助手をしてもらって手術をされていました。この方法の利点はセッティングがラクな点と脚長差を術中に簡便に確認できる点、また脚を自由に動かせるので脱臼抵抗性のテストも術中にしやすい点などが挙げられ、日本のDAA-THAのエキスパートの先生方もこの方法を採用されていることもあり、秋田大学整形外科でのDAA-THAも牽引台を用いずに行う方法を取っています。

リヨンはパリよりもスイス、ドイツ、イタリアに近く、スペインへの通過点でもあり、ヨーロッパの交通の要衝です。つまり、鉄道、高速道路、空路、河川路など、とても充実した交通網の中心にあります。高速鉄道(TGV)がリヨンとパリを2時間弱、ブリュッセルと3時間半で結んでいます。フランクフルト、バルセロナ、ジュネーヴ、ブリュッセルとは高速道路網によって途切れることなく結ばれています。リヨン=サン=テグジュペリ空港は、国外70都市以上を含む約100都市と結んでいます。河川路では、エドゥアール・エリオ港が貨物の通過・流通地点で、多くの企業が進出しているとのことです。この空港の名前でピンときた方もいらっしゃると思いますが、世界的なベストセラーとなっており最近映画化された名作小説「星の王子さま」の作者アントワーヌ・ドゥ・サン= テグジュペリがリヨン出身です。

ところで、留学だより11を読んでくださった方は、ヨーロッパ21カ国の過半数11カ国制覇の目標はどうなったのかと思われているかと思います(そういえばそんな記載もあったね、という方がほとんどだとは思いますが、一部の方には質問を頂きました)ので、その報告を最後にさせて頂きます。留学だより11の時点で、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツの5カ国を制覇(通過)していたので残り6カ国です。まずはパリ時代にお世話になった虎太郎の幼稚園の友達ファミリーがパリから引っ越されたスペイン・バルセロナにはTGVで行きました。車より断然ラクで週末の一泊旅行で往復でき、妻も虎太郎も大喜び。バルセロナではその友達ファミリーとディナーをご一緒できただけでなく、コンパクトにまとまった様々な観光名所あり、綺麗なビーチありのバルセロナはもう一度行きたい都市の1つです。サグラダファミリアの内部が必見です!

すっかりTGVファンになった我々はモナコ公国にもTGVで行きました。ちょうどF1のモナコグランプリが我々のリヨン滞在中にあることを日本にいるときから知っていましたので、車好きの虎太郎のためにチケットは取っておりました。ただし、モナコのホテルは高くて宿泊できないので南フランスのリゾート地としてパリジャン・パリジェンヌのバカンス候補としても名高いニースに前泊し、F1決勝レース当日にニースからモナコ入りしました。いやいや、すごい人、すごい車、すごいモナコで、とても内容は書ききれませんのでご容赦を。

ISAKOSが終わってから帰国までの間に数日間、自由にできる時間が得られましたのでその時間を利用して、最後にもう一度レンタカーを借りリヨンを出発しました。フランスの山岳リゾート・シャモニーからモンブランを眺めたあとに、マッターホルンを目指してスイスのツェルマットへ。山を堪能したあとは車を電車に載せて国境の長いトンネルを抜け、イタリアのミラノへ。さらにミラノからヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと車で巡り、もちろんバチカン市国にも入国。さらにローマからナポリを経て、イタリア半島を横断する形でアドリア海沿岸の港町バーリに。バーリの近くの世界遺産、アルベロベッロのトゥルッリもオススメです。バーリで車を返して、最後にフェリーに乗ってギリシャのアテネまで行ってきました。アテネは暖かく、物価も安く、フランスから遠く離れた熱帯リゾートに来た気分でした。そうです、このギリシャ上陸によって、ヨーロッパ21カ国の過半数11カ国制覇を果たすことができました。純粋な自己満足ですが、行ったことのある都市がテレビに映るだけでも妻や虎太郎の目の輝きが以前と違うのを感じ、そのたびに自己満足感が増すのを感じている今日このごろです。

もちろん自己満足だけではなく、フランスで得られた貴重な経験を現在、秋田の現場で生かすことが出来ておりますし、この留学だけでなく、この経験を活かす機会を頂けているのも島田洋一教授をはじめ秋田大学整形外科医局の先生方、また山田晋講師をはじめ秋田県股関節グループの先生方、さらには留学先をご紹介してくださった順天堂大学の金子和夫教授や本間康弘先生、仙台市立病院の野口森幸先生をはじめ日仏整形外科学会の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。今後は全国へ、またフランスを含めた全世界へ発信していけるような成果をあげることで、股関節疾患で苦しんでいる患者さんたちに少しでも貢献できるよう尽力することが、この御恩に報いることと感じております。今後とも何卒宜しくお願い致します。

フランス帰朝報告No.1

左上:テットゥドール公園。左下:フルヴィエールの丘からのリヨン旧市街。右上:ISAKOSのメイン会場。右下:秋田からのISAKOS参加メンバー(撮影:香奈先生)。

 

 

フランス帰朝報告No.2

 

50年間ミシュランの三ツ星を維持しているポールボキューズのレストランでのHip Arthroscopist Dinnner!!

 

 

 

フランス帰朝報告No.3

牽引台を使わないDAA-THAではベッドを傾けて股関節伸展位を取り、助手が下肢を内転・外旋位にする。手洗いさせていただいた時にはこの役回りをやらせていただきましたが体格のいい患者さんではなかなか力が必要です。

 

 

↓ 左上がツェルマットからのマッターホルン、左下はシャモニーのモンブラン?

フランス帰朝報告No.4

 

 

 

 

 

↓ イタリアからフェリーに乗ってギリシャまで。フランス帰朝報告No.5

 

ついに開催! 第1回秋田足の外科グループ秋田イリザロフ法グループ合同論文合宿(野坂光司)

12月19日,第1回秋田足の外科グループ(AFG)秋田イリザロフ法グループ(AIMG)合同論文合宿を開催することができました.我々のグループは秋田市外のメンバーが多く,これまではメール会議がメインでしたが,今回多数のメンバーが参加してくれました.ASG,A-BONE,ASAKGに遅れはとりましたが,今後,メンバー各自が高い志を持ち,学会研究会で発表した内容は,どんな小さくても論文化していくことを誓い合いました.

今後の症例登録とリサーチの意見を交換,最新論文の抄読会,柏倉先生によるミニレクチャーなど盛りだくさんの内容を1時間で終わらせ,すぐに論文作成に移りました.最後まで頑張ったメンバーからは,仲良しグループでは終わらないぞという強い意志を感じました.

土曜日にもかかわらず,頻繁にカンファランス室に顔を出してくださった島田教授には心より感謝いたします.それが我々グループへの教授の期待の大きさか,信用のなさかは不明ではありますが,メンバーもその都度集中し直せました.

AFG,AIMGからバンバン論文が発表されるよう,今後も継続的に行っていきたいと思います.

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2015年 秋田大学整形外科医局大忘年会  (赤川 学)

2015年12月12日、整佑会総会に引き続いて、秋田大学整形外科大忘年会が秋田ビューホテルで行われました。

整佑会会員に加え、関連病院長など多数の御来賓の先生方のご出席を賜り、またリハビリスタッフや病棟看護師の出席も多く、総勢140名を超える盛大な忘年会となりました。

はじめに島田洋一教授からご挨拶を頂き、今年1年の秋田大学の活動をまとめていただきました。引き続き発表されたAAOS travelling fellowでは、秋田厚生医療センター・菊池一馬先生、角館総合病院・斉藤公男先生の両先生が受賞されました。続いて1病棟8階坂谷慶子師長から、今年一年の病棟の活動についてまとめていただきました。イリザロフケアなどで素晴らしい業績をあげた看護師さんたちの日ごろの支えに感謝する次第でした。また御来賓の先生方を代表し、秋田厚生医療センター阿部栄二院長よりご挨拶を頂き、こんな医師・看護師にはならないようにという訓示を頂きました。

宮腰尚久准教授の乾杯の音頭で忘年会が開宴し、「エンターテイメント」と島田教授がおっしゃったように、イベントが目白押しでした。秋田大学整形外科では、日常診療に加え、スポーツ活動にも力を入れており、部活動報告では、10もの運動部が各々の日ごろの頑張りをまとめ、プレゼンしました。中でも今年から創部された秋田ノーザンファルコンズの活動は目覚ましく、エースである野坂光司先生が、今年度の秋田大学整形外科スポーツ大賞を受賞されました。続いてビンゴ大会が開催され、豪華景品をかけ盛り上がりました。

そして、毎年の目玉である新人の出し物では、新人看護師さんたちがモーニング娘。の曲に合わせ、セクシーなダンスを披露しました。また、我々大学院1年目も、工藤大輔先生、土江博幸先生のご協力のもと、hidezapの動画とそれに引き続き、ラッツアンドスターのめ組の人を踊りました。ゲストとして、粕川雄司講師と野坂光司先生にもご協力を頂き、さらにはスペシャルゲストとして宮腰尚久准教授にも参加していただき、壮大な芸になりました。この8人のメンバーは今後から秋田ノーザンシャネルズと名乗ることになりました。

最後には松永俊樹准教授の万歳三唱で中締めをし、盛大な忘年会が幕を閉じました。

今年も多くの先生方にご協力いただき、忘年会を滞りなく進めることができました。幹事一同心から感謝しております。

今年一年大変お世話になりました。来年もよりよい一年となるよう頑張ってまいりますので、引き続きご指導の程よろしくお願いいたします。

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チームイリザロフ,大快挙達成(プロジェクトコンペ最優秀演題賞受賞)!!(野坂光司)

秋田大学附属病院プロジェクトコンペ(12月1日)が行われ,チームイリザロフが最優秀演題賞受賞という,大快挙を達成いたしました.当日は私も聴講しました.演題は『創外固定患者の退院支援を患者の立場に立って考える ~地域連携の導入~』(高橋加苗,金 悠佳,上野洋子,朝倉愛子,照井ゆかり,佐藤千夏 敬称略)で,坂谷慶子師長,門間りつ子看護師を中心に,秋田大学整形外科病棟が,これまで築き上げてきたものの全てがびっしりと詰まった充実した内容でした.その中で,10月に島田洋一教授のご発案,坂谷師長のもとで行われ,大好評だった秋田県イリザロフケアセミナーも詳細に紹介されました.高橋加苗看護師のプレゼンテーションも堂々として素晴らしく,穏やかな中に秘めたイリザロフに対する熱い気持ちが,審査員,聴衆に,余すところなく伝わったに違いありません.

イリザロフ創外固定の管理は看護師さんが中心である特殊性を持ちます.秋田大学医学部附属病院チームイリザロフは全国トップの管理能力を持っていると自負しておりますし,我々秋田イリザロフ法グループの治療成功率の高さは,看護能力の高さによるものと言っても過言ではありません.

イリザロフの治療は決して楽ではありませんし,患者さんもくじけそうになることもしょっちゅうです.高橋看護師が述べた『創外固定患者の退院支援を通し,患者さんの立場に立った支援と,安心して自分の住んでいる地域へ退院できるように,地域連携の第一歩を踏み出しています』という言葉が非常に印象的でした.

3月の日本創外固定・骨延長学会でも,また全国からチームイリザロフの研究が注目されることと思います.今後も島田教授,坂谷師長のもと,ドクター,看護師さん,リハビリテーション,地域連携スタッフが一丸となって頑張っていける,と元気をもらえました.

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第1回International Congress of Osteoporosis (ICO) 2015 Seoul (大内賢太郎)

島田洋一教授、宮腰尚久准教授に御高配頂き、11月28日~29日にソウルで開催された第1回International Congress of Osteoporosis (ICO) 2015 Seoul に演者として参加させて頂きました。これはアジア各国が中心となるAsian Federation of Osteoporosis Societies (AFOS)のofficial journalであるOsteoporosis and Sarcopeniaの創刊に合わせて初めて開催されたもので、自分は大学院の学位研究である糖尿病性骨粗鬆症モデルマウス(Akita mouse)の評価についての論文をアクセプトして頂き、そのjournal highlightを発表する機会を頂きました。同じセッションではタイ、韓国、シンガポールからひとりずつ発表があり、自分は日本代表としてふさわしい発表をしなければ、と息巻いて臨みました(でも不安なので粕川雄司先生に帯同して頂きました)。

 

英語での発表は初めてでしたのでとても緊張しましたが、「でかい声でゆっくりしゃべれば通じるから大丈夫」と帰国子女である柴田ノブスケ先生のアドバイスを頼りに、普段はボソボソな声を張り出して発表しました。粕川先生の留学先の上司にあたるDr. Mohanや、今回のコーディネーターであるDr. Yoon-Sok Chungから質問も頂き、しどろもどろながらやり過ごし、初日本代表の発表はなんとか無事に終えることができました。これだけのために帯同してくださった粕川先生は、自分の発表が終わった直後、「お疲れ!空港に行くバスあと10分で発っちゃうから、帰るね。もし乗れなかったらタクシー代借りに戻ってくるから」と言い残し、去っていきました。戻ってこなかったので、きっとバスに乗れたのでしょう。

 

韓国と言えば焼肉しかないイメージだったので、発表前夜は粕川先生リサーチの焼肉店へ。ここはライブハウスも兼ねていたようで、韓流スターの卵である「純情少年L」というアイドルグループ(平均19歳:全員♂)のミニライブを目の前で堪能しながら肉を焼き、食べ、マッコリを飲みました。最後は一緒に集合写真までOKというサービスもあり、粕川先生は大変喜んでおられました。29歳ニミエマスネ、カッコイイ!と言われてから、さらに喜んでおられました。CD買うとおっしゃっていたような。

 

今まで、プレゼンテーションはどんな形でも苦手でできれば避けて通りたいと思っていましたが、今回の発表を終えて少しは苦手意識が消えたかなと感じています。このような貴重な機会を与えてくださった島田洋一教授、御指導頂いた宮腰尚久准教授、タイトスケジュールの中帯同して頂いた粕川雄司先生、何かと不在の多い自分をサポートしてくださる市立横手病院の江畑公仁男先生、冨岡立先生に、心より御礼申し上げます。

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若美走り納め駅伝(佐々木研)

11月29日,旧若美町(現男鹿市)にて,第40回若美走り納め駅伝に参加してきました.この大会は,県内外から強者が集まるレベルの高い大会で,今回は200チーム近くがエントリーしました.これまで,個人で参加していた駅伝部員もいましたが,今回初めて秋田大学整形外科としてチームを組んで参加することができました.ゴールタイム2時間以内,総合30位以内を目標に走りましたが,惜しくも(?)達成することができませんでした.来年もぜひ参加したいと思います.

総合 41位 2:05.28

1区(8K)佐々木 研 28分05秒(区間35位)

2区(3K)成田裕一郎 12分25秒(区間36位)

3区(5K)三浦隆徳  20分22秒(区間87位)

4区(3K)高橋靖博  12分47秒(区間33位)

5区(5K)長幡 樹  19分26秒(区間50位)

6区(3K)山田 晋  13分11秒(区間50位)

7区(5K)千馬誠悦  19分12秒(区間60位)

駅伝

第1回 Akita Sports Arthroscopy Knee Group論文合宿を開催して(齊藤英知)

2015.11.23勤労感謝の日、我々は、記念すべき第1回論文合宿を行いました。朝8:00から夕方5:00までの限られた時間でしたが、多数の参加者を迎え、各人、それぞれの目標に向かって充実した時間であったと思います。多くの参加者より、論文をすぐに調べられるので非常に時間的に有効という声や、是非次回も参加したいという声も多数聞かれました。今後も定期的に論文合宿を開催していこうと思います。まずは記念すべき第1回のご報告でした。

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